稲荷神社

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稲荷神社

 そのまま家をとおり過ぎ、急勾配を登っていくと再び森林が広がっている。段差のある石段に足をかけて行くが、お年寄りは確かに大変だろう。手すりもなく、ところどころ苔むしていて滑りやすくなっていた。  登っていくと、ほどなくして石段はなくなり山道になった。汚れたスニーカーが草の隙間からのぞいている。俺は休憩のために立ち止まった。山道はまだまだある。  俺はなんとなくファインダーを覗き先の続く山道を写真に収めようとした。すると覗いたレンズの端になにか黒い影がふわふわと動いている。それはゆっくりと映りフレームアウトしていった。人影のような大きさのそれは、俺がカメラをおろしたときにはもういない。少し不気味に感じながら、シャッターを押した。もしかしたら、クマやイノシシが通ったのかもしれない。俺はおばあちゃんから貰った鈴を鳴らしながら歩いた。  俺は周囲に気を付けながら、再び登っていった。顔を上げて歩いていると、木の葉のそよぐ音が耳にぴたりと張り付く。不思議なことに、集落を見下ろせばそこは夏の明るさがあるのに、山の中はじっとりとした薄暗さと寒さがあった。夏の暑さを感じているはずが、俺は冷や汗をかいていた。おそらく汗をかきすぎて、今になって寒くなってきているのだろう。  チリーン、チリーン    熊よけの鈴を鳴らしながら、長い長い山道を登っていく。おばあちゃんの家で見上げた山は確かに高かったが、想像以上に長い道のりだ。気の遠のくような険しさだが、途中で引き返すにはもったいない。変な動悸と共に、俺はさらに登った。  無心で足を動かし続けると飛び石が目に飛び込んできた。どのくらい歩いたか分からないが、まだ日は高いところにあるため時間としては短いのだろう。飛び石を歩いていくと石でできた鳥居が現れた。どうやら想像していた以上に立派な神社のようだ。  神社の鳥居はその信仰の度合いや神様の位によって材質が異なる。例えば位の低い神様には木材の鳥居が使われることが多い、安価で作りやすいからだ。この鳥居が石造りであるのはそれだけ位の高い神様がいることを表している。鳥居の横には社号が書かれた石碑が立っているが、風化して読むことはできなかった。  鳥居からは、石畳の参道が続いている。このような小さな集落にここまで立派な神社があるということが不思議である。俺は思わず引き寄せられるように参道を歩いた。  一歩一歩足を進めるたび、周囲の音が遠のいていく。集中の極致まで来たように、自分の心臓の音、呼吸だけが聞こえ、足取りは飛び立てるほどに軽い。眼の前の拝殿は朽ちて傾いているものの、柱の漆は艷やかで、瓦は青々と輝いている。左手には手水舎が設置されているが、水はもちろん出ていない。落ち葉と動物の糞で汚れている。立ち止まり周りを見ると、それは手水舎だけでなかった。境内はゴミの投棄、動物の死骸、社務所には落書きまでされている。ひどい有り様だ。  俺は半壊した威風堂々と佇む拝殿を見つめた。大切にされてきたであろう神社が、こんな姿になってしまったのだ。村の人はここまで登ることは出来ないだろう。俺しか、ここを整えることは出来ない。  境内に向かってお辞儀をし、参道の先拝殿前の階段を登った。よくある大きな鈴はないし、賽銭箱も完全に壊れている。 「えっと、確か二礼二拍手一礼だっけ」  遠い記憶を手繰り寄せながら参拝すると、俺はリュックからビニール袋を取り出し、境内のゴミを拾うことにした。何故かそこらにビール缶や酒のガラス、また何か食べ物をいれるビニールやタッパーが散乱している。俺は拝殿から離れて、ひたすらにゴミを探して袋に入れていった。木に覆われた暗い境内にも慣れ、およそ全てのゴミを拾うことができた。その後も、手水舎を飲水を使って洗い流したり、何か鳥のような動物の死骸を穴に埋めたりした。夢中になって掃除していると、気がついた頃には真っ暗になっていた。空は夕日で赤く染まっている。  チリーン、チリーン  風もないのに熊よけの鈴がなり始めると、俺は突然悲しくなった。それなりに綺麗になった境内には、俺一人しかいない。そもそも、この山には俺しかいないだろう。感じたことがないほどの孤独に包まれ、心臓がギューと締め付けられた。その痛さに、その場でうずくまることしか出来ない。まるで体が地面に縫い付けられているようだ。  何故か、熊鈴がひっきりなしになり続けている。リンリンと鳴る鈴の音で頭がいっぱいになり、パニック状態だ。膝が参道にめり込み、全身に重力がのしかかる。かろうじて頭を上げると何かがこちらに向かって歩いて来ているのが見えた。  暗くてよく分からないが、人のような形をしている。少なくともその影は二本足で歩いている。本能的に、これに捕まったら殺されると思った。とにかく逃げなくては自分の身が危ない。俺は泣き叫びながら、全身に力をいれ鳥居へ向って這いつくばった。喉からは叫びにもならない空気だけが漏れでて、力を込めた全身はガタガタ震えている。  後ろからは、ゆったりとした下駄の足音が聞こえていた。それは遠く拝殿近くにいるようにも、すぐ足元にいるようにも感じる。得体のしれない不気味さをまとうそれは人間でも動物でもないように感じた。しかし、それが何かは問題ではない。今はいち早くここから逃げなくてはいけなかった。  頑張って震える上体を無理矢理に起こし、俺は無我夢中で鳥居まで走った。実際走れていたのかは分からない。頭の中は真っ白だったが、すぐ後ろから声がしたのは分かった。 「また、戻っておいで」  明瞭でよく澄んだ、もっとも尊いとさえ思える声だった。その声を聞いた瞬間、神経の隅々を犯されたようにあらゆる感覚が遠のいていった。
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