孤高の罪人

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1945年中国大陸 私の名前は日桑杏。ここは北京の監獄。女囚達の身の回りの世話をするのが私の仕事です。私は看守に連れられ担当する女囚へと会いにいきました。 独房の前で待機していると短髪で獄衣を着せられた女囚がやってきました。 (この人は?!) 私は彼女に見覚えがありました。 「君は?!」 向こうも私に見覚えがあったみたいです。 「無駄口を叩くな愛新覚羅顕シ。とっとと入れ。」 愛新覚羅顕シと呼ばれた女囚を目の前に私は思い出したくない出来事が脳裏に過りました。     時は遡ること1931年、私はその頃14才で上海に住んでいました。父は外交官で家には海外のお客様が出入りしておりました。私がよく家で見かけるのは川島という日本の軍人さんでした。彼、いえ彼女は女性でありながら男の身なりをし、男言葉を話し自ら僕と呼ぶ方。しかしどこか気品を兼ねそなえる彼女に私は自然と興味を持ちました。  ある日川島さんは私に日本の衣類をくださりました。振り袖といって白地に薄いピンクや紫の花が咲いている見たことがない着物です。川島さんは生地に絵がかれた花は紫陽花だと教えてくださいました。 「着せてあげる、まずは服を脱いで」 私は顔を真っ赤にします。 「女同士なんだから恥ずかしがることないだろう。赤くなった顔も可愛い。」 私は頬を染めたまま心臓の心拍数が上がっていくのに耐えながら服を脱ぎます。 川島さんは私に肌襦袢を着せるとこし紐を巻き、その上に振り袖をきせ再びこし紐、帯をしめてくれます。日本の着物はなんと手順が多いことでしょうか。 「さあ、できたよ。」 私は姿見の前に立ちます。 「この方はどなた?」 私は異国の王女ぷりんせすを目の前にした気分でした。  中国では動きやすさばかり重要視するためスラックスを掃くことが多いのですか、振り袖はスカート状になっておりました。華やかさと優美さを兼ね揃えた振り袖に私は虜になりました。 「せっかく着替えたんだ。僕とお出かけしない?」 私は川島さんの誘いに乗り上海の街へと行きました。生まれて初めてのデートでした。  川島さんは私に髪飾りをプレゼントしてくださり、行ったことのないお店も連れて行ってくれました。並み外れた美しさにお優しく、どこか気高さを兼ね揃えた男装の麗人である川島さんのことを好きになるのに時間はかかりませんでした。思えばそれが私の初恋だったでしょう。  しかしそんな川島さんとの日々も長くは続きませんでした。 年も開けた1932年、私は家族と一緒にいつも通り夕食を取っていました。 「日長英はいるか?!」 憲兵が突然家にやってきました。 憲兵は父に手錠をかけます。 「待って下さい!!主人が何をしたっていうのですか?」 母は憲兵に訴えます。 「奥様、先日日蓮宗の僧侶が殺害された事件ご存知ですか?」 上海には日本人僧侶の開いたお寺があった。何者かに襲撃されたという話も女学校で噂になっていた。 「奥様、ご主人が主犯格です。日雇いの中国人を雇って襲撃を指示したのですよ。」 「何かの間違いです!!」 見覚えのない罪で父は連行されていきました。 (こんな時誰に頼ればいいだろう?) そう思った時ある人物が脳裏を過りました。 「川島さん、そうだ。川島さんなら助けてくれる。」 私は川島さんの自宅に馬車を走らせました。 「すみません!!川島さん、芳子さんはいらっしゃいますか?」 「ごめんなさい、今はお客様がいらしてて。」 「急を要するんです。」 私は女中が止めるのを聞かずに家の中へと入っていきました。  部屋の一室から話し声がします。2人。1人は男の声、もう1人は川島さんでした。 「川島さん!!」 扉を開けると男物のスーツに身を包んだ川島さんと軍服を着た長身の男がいました。 「ご協力ありがとう。所長さん。」 川島さんは男にお金を渡しています。 「川島さん!!」 「桑杏ちゃん!!」 「君は日長栄のお嬢さんではありませんか。こんな時間に女の子が出歩いてはいけませんよ。」 「川島さん、父は何かの間違いです。逮捕は誤認です。どうか助けて下さい。」 私は川島さんに懇願しました。 「可哀想に。」 川島さんは私を抱き締めて人差し指で涙を拭いてくれました。こんな時でも川島さんは私に優しくしてくれます。しかし 「だけど逮捕は誤認じゃないよ。」 私は耳を疑いました。 「彼は我々日本軍のやり方に賛同してくれなくてね。残念だったよ。彼なら我々を理解してくれると思ったのに。もう用はないから消えてもらったよ。所長さん、お嬢さんがお帰りだ。一緒に送っていってやってくれ。」 「分かりましたよ。」 私は無理矢理連れ出され帰宅させられました。 川島さんの優しさは私を手なずけ父に取り入るための芝居でした。 軍のやり方に疑問を持った父は見限られ消されたのです。  その後父は牢獄で首を吊って自殺、母も橋の上から身投げし父の後を追いました。 使用人は皆辞めていき私はというと女学校は当然中退。兄弟を連れてお屋敷から小さなアパートへと移り住みました。  私は市場の花売り娘の仕事を見つけました。弟も学校に通いながら新聞配達の仕事をして家計を助けてくれました。  その年の3月、大陸に日本軍は新国家満州国を建国。アジア民族の共和を目指すと皇帝は宣言しましたがそこは日本軍がアジア民族を虐げる偶像国家に過ぎなかったのです。  私達が住むアパートは日本軍の軍人達の寄宿舎に変わり、私達は住む場所を追われました。 行く宛がなかった私達は橋の下で暮らし始めました。そこには行き場の失った中国人が身を寄せ合って暮らしていました。  私は宿無し生活から逃げるために住み込みの仕事を始めました。それが今の仕事です。寄宿舎があり弟と妹と一緒に暮らしており生活は以前より楽になりました。 そして今私が地獄を味わう原因を作った張本人が目の前にいます。川島さんは初恋の人から憎むべき相手に変わっていました。 「あんたのせいで全て失った、住む家も家族も幸せも!!人の人生狂わせてそんなに楽しいか?!この売国女!!」 そう言って掴みかかりました。しかし傍にいた看守に止められました。気持ちは分かるが今は我慢だと言うように。  川島さんの裁判には多数の傍聴人が詰め寄せました。 「くたばれ!!売国奴」 「お前なんか死刑になれ!!」 「夫と息子を殺しておいてノウノウと生けてるんじゃねぇよ!!」 傍聴人の中には川島さんが起こした事件で家族を失った者もいました。傍聴席からは川島さんに対する多数の罵声が飛び交いました。私も傍聴人に同調したい気持ちでいっぱいでした。 「おい、検事。僕が日本に手を貸したのは王朝の復活のため、つまり中国のためだ。それを漢奸だとお前ら馬鹿か?!」 川島さんは裁判官や検事を挑発した態度で供述します。川島さんは清王朝、中国の王朝の末裔でした。川島芳子というのは日本人の養女になった時にもらった名前です。日本軍に手を貸して満州国建国に携わったのも王朝の復活のためでした。 「ふざけるな!!」 「自分の野望のために中国人を犠牲にしたのか?!」 「お前は自分さえ良ければ良かった!!そうだろ?」 再び川島さんに野次が飛んできました。しかし 「黙れ!!日本軍とつるんだやつ捕まえて吊し上げ。お前らのやってることはやられたからやり返す、そういうことだろう?自分さえ良ければいいのはここにいるお前ら全員だろ?」 川島さんは何を言われても態度を変えません。 彼女の態度は独房でも同じでした。 「これだけか?」 私が食事を運んだときの第一声です。 「そうですよ。」 「もっとないのか?ワインとか食後のデザートとか。」 「ありません。」 「ここは客にこんなもの食わすのか?サービス悪いな。」 「ここは高級レストランではありませんし、貴女はお客様でもありません。貴女は囚人です。嫌なら食べなくて結構です。」 私はそれだけ言うと独房を後にします。  翌日私は川島さんの独房へと向かいました。今日は休日なので裁判は行われません。 私が朝食を運びに行くと川島さんはアルバムを見て微笑んでいました。 「桑杏ちゃん、見てくれ、子供時代の僕の写真さ。」 急にアルバムを渡してきます。この人には自分が嫌われてるという自覚はないのだろうか? 「仕事中ですので。それに私いつから貴女とそんなに仲良くなったのですか?」 「ここにいると君とあの無能な弁護士くらいしか話し相手がいないんだ。」  川島さんの弁護士とは昨日帰り道に偶然会いました。彼も川島さんの態度には手を焼いているようでした。国選弁護士で「仕事だから引き受けたけど結果は見えてる。正直時間の無駄だ。」と言ってました。彼女を心から助けたいと願う人などこの国にはいないでしょう。 「これは僕がまだ3才の時」 聞いてもいないのに勝手に話し出す。どこまで自由奔放なのだろうか?仕方なく付き合うことにしました。  アルバムには幼い頃まだ大陸で暮らしていた頃の川島さん、いえ顕シ王女が写っていました。まだあどけない頃の彼女は満面の笑みを浮かべています。 「この頃の僕は望む物は何でもあって幸せだった。日本に行く前は。」 日本の家族とは折りが悪く自分の居場所のなさに苦しんでいたそうです。   「僕は王朝復活のために女を捨てた。全ては王位に返り咲くために。」  川島さんは男として生き、秘書の女性と事実婚関係にありました。王朝を復活し彼女と作りたかったのでしょう。かつて失った家族の形を。 「だけど全ては夢だった。」 国は日本軍の思うつぼ。秘書の女性は別の人と結婚。川島さんも私と同様人生を狂わされたのです。 「ごめんなさい。川島さんの気持ち考えずに一方的に恨んで罵倒して。」 私の謝罪を川島さんは黙って聞き入れてくれたのでした。川島さんはただ自分の願望に素直に従っただけなのでした。  翌日私は裁判で証言台に立ちました。川島さんのアルバムを証拠品として。 「これは川島さんが大陸で暮らしていた時の写真です。」 私は幼い頃の彼女の写真を見せます。 「川島さんは清王朝の王女でした。見て下さい。大陸で家族と過ごした時間が一番幸せだったと言わんばかりの彼女の表情を。彼女は取り戻したかっだけです。家族と過ごした幸せな時間を。彼女を裁く権利が誰にありましょうか?悪いのは彼女の気持ちを利用した日本軍です。」 私は証言を終えました。 「判決を言い渡す。被告を死刑に処す。」 私は川島さんを救えませんでした。 その後川島さんは銃声と共に帰らぬ人となりました。執行人からの目隠しを拒み銃口を突きつけられても眉一つ動かさず「これが王女の死に方です」言わんばかりの最期でした。  そして私の元にも呼び出しがきました。 川島さんを庇った発言の後すぐに私も独房行きとなりました。3日3晩鞭で打たれ、川島さんを漢奸だと認めれば解放してやると言われました。しかし私は口を開きませんでした。そう言えば川島さんは死刑になってしまうからです。しかしそれも無駄でした。 「お前何だ?その格好は?」 「振り袖です。」  どんなに生活が苦しくても川島さんに裏切られても売ることはできませんでした。この日のために弟に持ってきてもらいました。私は向こうで川島さんと再会した時に一番美しい姿で会いたかったのです。 「敵国の着物で逝こうなんてさすがは売国奴の仲間だな、出ろ!!」 私は刑場へと連行されました。 執行人の銃口を満面の笑みで見つめました。 「川島さん、待っててね。今そっちへ行くから。」                 FIN
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