第44話『魔王の足音』

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第44話『魔王の足音』

 トガ・マギランプにその時意思があったかどうかなど、おそらくどうでもいいことだ。アゼカイ・ギュンピョルンは突然顕現した魔王にただただ狼狽した。このダンジョンを器に冒険者を触媒に仕立てた、蠱毒の呪法はまだ完成していない。なのにどうしてだと混乱していた。 「誰だ、我輩を呼んだのは」  魔王は瘴気を孕んだ吐息とともにそう云った。ギュンピョルンはその言葉を、自分のことだと勘違いした。 「わ、私だ」  魔王はなんの反応も示さない。ただ言葉を連ねる。 「数千、数万の時を経て、やっと目覚めることができた。さて」  魔王の見た目はそのままトガである。内向的で下ばかり向いている、名門マギランプ家の末子トガ・マギランプに違いない。しかしその内奥に潜む圧を、ギュンピョルンは見逃さなかった。  アネムカ王国四天王の一人、大神官ギュンピョルンはよもやの魔王の復活に喜悦の涙を流していた。  アネムカでなにより深いこのダンジョンを復活の場に選んだことが幸いしたか。代々魔王をその身に封じるマギランプの血筋でもっとも望みの薄かったトガに、かすかな魔王の卵の気配を見て攫うようにこの場に連れてきたことが功を奏したようだ。  しかしギュンピョルンは、信奉する魔王の力を見誤ってもいた。目覚めたばかりで何の力もない魔王なれど、不用意に近づきすぎた。ギュンピョルンは悦びの表情のまま前のめりに倒れ、絶命した。  魔人となったゼンガボルトは魔の匂いに魅かれている。ユーリップを飲み込もうと目論んでいたが、それ以上の圧倒的な魔の力を気取り、導かれるままに歩き続けた。  ゼンガボルトが希求する魂は、どうやら地上に出ようとしている。 「待てよ、待ってくれよ」  出口近くにはトガがいた。 「てめえ、なんだってこんなところに」  ゼンガボルトは握りこぶしのような鼻を蠢かした。 「おい、とんでもねえものがここを通ったはずだ」  トガは怯え切り、ふるふると首を振った。 「おい、クソチビ。てめえはここでなにをしてる?」 「そ、それが僕にもわからないんだ。……気づいたらここにいた」 「ああん、なんだそれ?」  雄叫びが聞こえる。ゼンガボルトは緩慢に振り返った。  勇者リオーが拾ったハルバードでゼンガボルトの肩口から腹まで切り下げた。恐るべき力だ。だがそれ以上に恐るべきは魔人。たとえ勇者の斧が心臓をふたつに割ろうとも、その活動を止めることはできなかった。 「しつこいぞ勇者ァァァ。死んだらどうしてくれる」  リオーは小さく舌打ちをしてゼンガボルトから離れた。  どういうことだと声があった。  四天王の一人、人形使いイッゴ・オゾオドオゾがそこにはいた。 「来い、我が巨人よ!」  使役するのは青銅の巨人。魔物で云うなら脅威等級7の力を以って、このダンジョンに蓋をしていた。一目見て異常を感知したのはさすがに四天王と云うべきか。  将来を嘱望されている勇者。アネムカ王国の希少職僧侶ゼンガボルト。そして蹲るマギランプの末子。 「トガ・マギランプはギュンピョルンが管理していたはず」  リオーはイッゴの背後に寄り、その腰に提げていた剣を引き抜いた。 「おい貴様、何をする!」 「すまない、武器がなくなってしまった。貸してもらいたい」 「私が四天王が一人イッゴ・オゾオドオゾと知ってのことか?」 「もちろん知っている」  リオーは何処でもリオーだ。その鋼のような胆力はまさに勇者。しかし俗に云う、空気が読めない男でもある。 「返せ、その剣はただの剣ではない! 我がオゾオドオゾ家伝来の魂移しの剣だぞ!」 「魂移し。……聞いたことがある。これがそうなのか」 「普通の剣ではないのだ、返せ!」 「切れればいい。いや」  リオーはゼンガボルトを見た。 「切れなくてもいい」  リオーは走った。ゼンガボルトは腕で剣を受ける。肉に食い込むが骨まで届かない。リオーは剣の握りを順手から逆手に変え、身体を反転させた。靴底で剣を蹴る。何度も蹴る。抵抗するゼンガボルトの顔を火の魔法で焼く。  自分が倒すべき存在と認めたものには容赦ない。  ゼンガボルトの腕が断ち切れた。 「くそったれ!」 「相変わらず言葉が汚い」  リオーはしゃべりながらも魔法の詠唱を開始する。魔力はネブラフィカに到底及ばない。そんなことは百も承知で、リオーは八つ裂きの呪文を唱えた。空中にいくつもの刃を生み出す中級魔法だが、当然その程度の魔法ではゼンガボルトの表面を削り取るくらいの作用しかない。しかし今はそれで十分だった。  どれほど固い肉体を有していようとも、 「眼球は鍛えられない!」  リオーの呪文はゼンガボルトの両目を切り裂いた。 「てめえええええええええッ!」 「強力な肉体を手に入れようと、所詮貴様は僧侶。やれることには限界がある」  ゼンガボルトはリオーを殴ろうとして、その腕の先が失われていることに気づきまた吠えた。  イッゴは状況が読めない。突如現れた奴らは、力押しで出口からダンジョン脱出を図ると思いきや、あろうことか目の前で戦闘をはじめている。その二人ともをイッゴは知っている。将来を嘱望されている勇者のリオー・サンヴォイセンと僧侶のゼンガボルト。  この場で殺し合いをしているのか。もしや最後の生き残りをかけた戦いなのか。  視界が奪われたゼンガボルトは身体に食い込んだハルバードを無理矢理引き抜くと、滅多矢鱈に振り回した。リオーは弓を取り出しゼンガボルトを射た。何本もの矢が刺さるも、ゼンガボルトは叫び続けハルバードを振るい続ける。痛みを感じていない。どれだけ傷つけられようとその動きは止まらない。それどころか切り落とした腕の傷は既に塞がり、あまつさえ肉が盛り上がりつつあった。 「再生している……?」  再生している。  リオーは手にした剣に目を落とした。 「魂移しの剣」  それは秘剣として名高い一品。その名の示す通り、有能なる人物の魂をその刀身に宿すことで、魂の持ち主の有していた力を剣技として発揮できる魔法剣。剣豪ならばそのまま剣の技を、盗賊ならば盗みの技を。  リオーは導かれたと思った。  勇者は魔人の様を見、来た道を引き返していった。そこに俺は行き遭った。 「カザン、俺は奥に戻る」 「戻る?」 「気をつけろ、ここを出るつもりならゼンガボルトそして、四天王イッゴの操る巨人を倒す必要がある」  リオーは俺の肩を叩き、奥に消えていった。
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