英語の教材

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

英語の教材

 今から40年ほど前のお話である。  佐々木 友子は田舎の高校から、東京の大学に進学した。  初めての一人暮らし。初めての大きな校舎。知らない人たちの中での生活。  大学に行くための毎日の満員電車。  やっと色々なことになれて、生活も落ち着いてきたころ、友人もまだいない友子に、大学の中で、気安く声をかけてきた男子学生がいた。 「ねぇ、S組の佐々木さんでしょう?きょうはもう授業ないよね。お茶でもどうかな?」  友子は、『初対面でお茶に誘ってくるなんて都会の人は積極的だなあ。』などと、のんきに考えたが、まぁその日は特に何の予定もなかったので、 「いいですよ。駅の近くでなら。」  と安易に返事をしてしまった。  もうサブタイトルでお判りの方もいらっしゃると思う。  友子はこの後、3時間いや、4時間ほど自宅に帰れないことになる。  そう。男は大学生でも、お茶を飲みたかったのでもなく、英語教材の勧誘員だったのだ。  店に入り、お互いに飲み物を注文する。そうすると急に、これまでの気安い感じから、男はビジネスライクな口調になった。 「一緒にきてくれて嬉しいです。本当にありがとうございます。」 「今日は佐々木さんにも絶対に損にならないお話がしたくてお茶にお誘いしたんですよ。」 『ン?』  友子はまったく気づかなかった。多少なりとも知識があればこの段階で店を出たはずだ。  男はそのまま話し始める。 「私、小林と言います。佐々木様には大学でも役に立つ英語の教材をお勧めしたいと思いまして。」  と、名刺を出し、机の上の友子の方に向けておいた。  そして、おもむろにやけに大きいと思っていたカバンから、出すわ出すわ。 カタログの数々が次々とテーブルに重ねられていく。   そして、 「この英語の教材はテープとテキストで勉強していくものになります。」 「教材は全部で60万円ですが、今でしたら割引で45万円になります。」 「もちろん、一括ではなく、分割で結構ですよ。4年生までの分割でしたら1日コーヒー一杯分くらいです。それだったら払えるでしょう?」  と、そのまま教材の説明に入り、友子が口をはさむ暇もないまま1時間ほど小林という男は話し続けた。 「でも、私、仕送りだけで生活しているし、教材とか、無理です。」  友子は自分がまったく英語などやりたくないことも頭に浮かばず、とにかく断らなければと必死になった。  すると急に小林は口調を替えて 「いやいや、お茶のむって言って、僕は1時間も時間をかけて話をしたのに、断るんですか?」 「信じられないな。僕の時間を返してほしいな。」  もう、友子は訳が分からない。  その調子で、ずっとごねられて、その間にまだ英語教材を買えば抽選で海外に行かれるチャンスが来るかも、とか、話を挟んでくる。  結局どんどん時間がたって、友子はもう訳が分からなくなっていた。 『とにかく、教材を買うって言わないと家に帰してもらえないんだ。』  と、いう事だけはわかって、友子は半分べそをかきながら英語の教材を買う事を承知してしまった。  当然クーリングオフの説明などないし、友子もそんな知識はない。  4時間後にようやく解放されたときには、友子は45万円というとんでもない買い物をさせられていたのだった。  そして、クーリングオフのできなくなった10日後に友子のアパートには仰々しい英語の教材が送られてきた。  相談する友達もいなかったし、自分が騙されてしまったことは分かっていたので親にも相談できずに、友子は仕送りを節約して、4年間立つ前に全額支払いを済ませた。  
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!