鎖の外れた行く末は

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鎖の外れた行く末は

零は今日も一人、店を切り盛りしていた。 前回の個展も大盛況のうちに終わり、よりゼロのファンが増えたようである。 特に、目玉であった克伊がモデルの作品は瞬く間にファンの間で話題となり、あの人は誰なんだと、一斉にSNS上での捜索活動がなされた。 (作品に彼の名を表記はしていなかったため) そして、彼らはあっと言う間に、鏑木克伊と言う人物を突き止めた。 飽くなき探求心には恐れ入る。 当然、彼のSNSも念入りにチェックしている模様で、彼の真面目な人となりと、爽やかなルックスに、ゼロファンの大多数は虜になってしまったらしい。 【零さんのおかげで、急に沢山の方が応援してくれるようになって、本当に嬉しいです】 数日前に、克伊から感謝のメールが届いていた。 零はすぐに返信をする。 どこか、機械的で硬い文章で。 【インディーズの映画も好評で、正直、驚いています。そこで、あの…。もし良かったらなんですが、僕が出演した映画、観に来て頂けませんか?】 昨日、克伊から届いたメールである。 零はすぐに返信をする事が出来なかった。 悶々とした気持ちのまま、零は仕事に臨んでいた。 勿論、何処か上の空で、店の展示品に足を取られたり、お釣りを間違えてしまうと言った、ケアレスミスを立て続けに起こしていた。 その姿を見たお客は、その見た目でドジっ子なのかと、何故か好感を抱いてくれたのは、彼の秀麗なルックスの成せる技なのだろう。 命拾いである。 お客が居なくなった頃合いを見て、零は休憩室に駆け込んだ。 「あーもう! 全く。しっかりしなきゃ駄目だ!」 強めに両頬を叩き、気合を入れ直すが、すぐに脳裏にあのメールの文章が浮かぶ。 成り行きとは言え、あの時、自分は流されて彼とキスをしてしまい、あまつさえ、性を貪りあってしまった。 泰雅以外のヒトとそのような事をなんて。 そして、それを強く払い除けられなかった事に、恐怖を感じた。 身体がすっかり喜んでしまっている。 誰かの熱を感じながら、絶頂へ向かう感覚を思い出してしまったのだろう。 確かに泰雅が渡米してから、零はその身を誰にも晒す事はなかった。 だがその枷は、この前、克伊と言う存在の前に脆くも崩れ去った。 押さえ付けていた獣があれからずっと躍動している。 また、あの感覚を味わいたい。 自分ではどうする事も出来ない、心の中の獣がずっと彼の意思を揺さぶり続ける。 この呪縛から逃れる為にはどうしたら良い。 しばらく無の世界に浸り、零は思案に耽る。 そして、彼は一つの答えを導き出す。 泰雅に会う。 思えば、至極簡単な事だった。 泰雅が居れば、こんな気持ちにならずに済むのだ。 そして、そう考えると、何故か零は沸々と怒りが込み上げて来た。 「元はと言えば、アイツがさっさと帰って来ない事が原因じゃないか!」 零は彼に責任転嫁して、気を落ち着かせる事にした。 自分でも最低だなと思いつつも、泰雅に会えば、きっと自分は大丈夫と確信出来た。 アイツが隣に居れば、僕は何でも出来るし、何も恐れる事はないのだから。 零はそう思い立ち、休憩室のデスクに雑に置いてあったスマホに手を伸ばす。 電話帳を検索し、彼の名を表示させる。 だが、その指はいつまでも 通話 のボタンに伸びない。 【どっちが先に寂しくなって電話するか勝負だな】 【我慢比べって奴か。良いだろう、それくらいしないとつまらないからな】 泰雅が渡米する日、空港でそう言って笑顔で別れた事を零は思い出していた。 その勝負に負ける事が正直悔しいと思った。 だけど、今は緊急事態に近い状況。 四の五の言って居られない。 (泰雅、僕の負けだよ…。早くお前の声が、聴きたいよ) 零は震える指で、通話のボタンを押した。 スマホを耳に当てる。 身体全体が震えてしまっている。 第一声はなんて話をしよう。 何も決めていないのに、見切り発車してしまった。 どうしよう…。 焦る気持ちに苛まれながらも彼の声を待つ。 時差があるし、向こうの状況もわからない。 だが、ほんの少しで良い。 泰雅の声が聴きたいのだ。 しかし、一行に泰雅は零の通話に応える事はなかった。 そんな時、お店の自動ドアに付けてある鐘の音が鳴った。 零はハッと我に返り、大きな声で いらっしゃいませ と発した。 早く、仕事に戻らないと。 お客様を待たせる訳にはいかない。 零は再びスマホをデスクに置く。 何処かその顔は寂しそうだった。 (馬鹿泰雅…) 軽く愚痴を心の中で呟いてから、零は休憩室を後にするのだった。
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