先生の事情

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先生の事情

その先を言えなくて黙ったままの僕を、根気よく待つ。 「あの… 」 「雷太さんて人が、何?」 とうとう痺れを切らした様な先生が訊いてきた。 「雷太さんが、先生の事情を聞いて… そして判断するって… 」 ああ、言ってしまった。 何でそうなるんだよって思うよね。 大きなお世話だって思うよね。 俺が望んだ訳じゃないって思うよね。 怒られる、そう思って首をすくめた。 何も声がしないから、恐る恐るパソコンの画面に目を遣る。 頬杖を突いて、黙って僕を見ている先生の顔は怖い顔じゃなかった。 「まぁ、悪い話しじゃないな、とは思ってたんだよ」 「ほっ!本当ですかっ!?」 思わず立ち上がってパソコンの画面を掴んで揺すった。 「お、おい… 葵葉の腹しか見えねぇよ、それに揺らすな、酔う」 「す、すみません… 」 嬉しさのあまり興奮してしまった。 赤らんだ頬で滲んだ汗を拭いながら、座り直して呼吸を整えた。 「で? 俺はどうすればいいの?」 ✴︎✴︎✴︎ 「初めまして、今住夏南央と申します」 僕の隣りに立つ先生が、雷太さんに頭を下げた。 色んな顔を持っているだけあって、流石、すっかり好青年に見える。 全く褒め言葉にはなってないけど。 「この家の事を任されています、剛力雷太です」 雷太さんも頭を下げて、僕は何だかくすぐったかった。 「どうぞ」 とダイニングの椅子を手かざし、先生に座る様にと促した雷太さん。 お茶を入れる為にキッチンに向かうと、戻ってきた時は客用の湯呑みと雷太さんの湯呑みだけで、僕のが無い。 「葵葉、自分の部屋に行ってろ」 そうか、先生の事情を僕が聞くのは控えた方が良いのだと思い、頷いて椅子から立ち上がる。 「別に、葵葉くんが居ても大丈夫です」 先生の言葉に、雷太さんはふっと視線を送り、僕は振り返った。 「こちらに下宿出来る事になれば、葵葉くんのお陰です、彼は知るべきとも思います」 いいのかな? 目が泳いで雷太さんを見ると、僕を見て軽く頷いたから、また静かに座り直した。 「借金があると聞きましたが… 」 雷太さんの言葉に頷くと、先生は遠慮がちに話し始めた。 「… 父親の借金です。元々体の弱かった母親は、私が大学に入ると間もなく病死しました」 えっ? 僕も聞いていていいのか戸惑った。 「昔からギャンブルや酒、女で母親を苦しめていたのに、母親が亡くなった途端に、それまで以上に酷くなって、気がつくと家も無くなり残っていたのは借金だけで、その父親も今、何処にいるのかも分かりません」 僕も雷太さんも、ただ黙って聞いていた。 夏南央先生の話しは続き、家を失い住めた場所はボロボロの湿気臭い、風呂も無い六畳一間のアパートで、父親の借金を返す為に大学も辞めざるを得なかったと話す。 「中学生の弟がいるんです」 その言葉に、思わず視線が先生に流れた。 「そんな所で二人で住むのは難しかったから、弟は今、関西にいる遠い親戚の所で世話になっていて… 」 先生の言葉が少し詰まった。 僕は俯いたまま固まっている。 「世話になっていますけど、なかなか、大変みたいで… 」 弟さんが、肩身の狭い思いで過ごしているのだろう事が想像できた。 「来春、高校受験なんです、どうしてもこっちに呼んでやりたい… 」 僕の目にじわりと涙が滲むと同時に、自分がいかに恵まれていて、甘く生きてきていたかという事を思い知らされた。
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