おひな様からのラブレター(重め)

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 お内裏様がビスクドールとか申す西洋人形のところへ夜な夜な忍んで行かれるせいで、私の心が闇に染まった。それは確かに、そうなのかもしれません。それでも、そのことは、この告白と何の関係もございませんわ。  私は、あなた様のことを、心からお慕い申しております。  初めてお姿をお見かけした時から今日まで、ずっと。  あなた様への思いが、この心に宿った、あの夜。私は独り、緋毛氈(ひもうせん)に顔を当て、声を押し殺して泣いておりました。もうすぐ端午の節句、ひな祭り。それなのに、お内裏様はひな壇にはおりません。そうです、あの女のところへ行ってしまわれたのです。悔しくて、悲しくて、もうやりきれなくて……私は、ずっと泣いていたのでございます。  緋毛氈から顔を上げますと雪洞(ぼんぼり)の明かりがユラユラ揺れているのが見えました。泣き疲れた私は、いつの間にか寝ていたようでした。髪や化粧の乱れが気になり、三人官女を呼ぼうとしましたが、泣き腫らした顔を見せるのは惨めだと考え直し、化粧鏡を見ながら自分で(くしけず)ります。  艶やかな黒髪を撫でておりますれば、また涙が零れ落ちます。自慢の髪でございましたが、お内裏様はお気に召して下さいません。さもなければ、あのような黄色い髪の女子(おなご)に心移りなどしませぬものを……と考えましたそのとき、私は頭に鋭い痛みを感じました。傷んだ部分を手で触ろうとして、私は指に髪が束になって絡んでいることに気が付きました。私は知らずに指に力が入り髪を引き抜いてしまったのでした。恐ろしいほどに抜け落ちた髪が、指の隙間からサラサラと零れ落ちます。  膝の上に落ちた髪を摘まみ上げ、私は目を瞑りました。お内裏様に愛されないおひな様が、髪を梳ることに何の意味がありましょうや? 私は化粧箱から剃刀を取り出しました。髪を剃り落とし、尼になろうと思い立ったのです。幼い子供の頃からずっと伸ばしていた髪ですが、毎朝毎晩梳り大切にしていた髪ですが……もはや私には、手に取るのも煩わしく、眺めるのも虚しい黒毛でしかございません。  さようなら、私の黒髪……櫛の代わりに手にした剃刀をぎゅっと握り締めた直後、雪洞の明かりがフッと消えました。代わりに目の前に置いていた化粧鏡が光り出します。剃刀を持つ手が止まります。光る鏡の中に殿方が映っておりました。それが、あなた様でございます。それが、私の本当の恋の始まりでございました。  あの夜以来、私はお内裏様のいらっしゃらない夜が来るのを楽しみに待っております。昼間はお内裏様がおわしますので、鏡の中のあなた様を見つめることが出来ませぬ。夜が来て、お内裏様が黄色い髪の西洋人形の元へ向かった、その後。その時間が、私の至福の時なのでございます。  それでも、私は不安になる時がございますの。あなた様に会わせて下さいましたのが神仏ではなく、鏡の中の悪鬼ではないかと考えるからです。この出会いは過ちではないかと、疑ってしまうのです。  それでも、たとえ過ちだとしても、あなた様にお会いできたことは、私の人生で一番の幸せにございます。  端午の節句が終われば、私はまた箱の中に戻ります。次にあなた様のお姿を目にすることが出来るのは、来年になりましょう。お名残り惜しゅうございますが、あなた様に再びお会いできるその日を楽しみに、箱の闇の中で長い時を過ごしたいと存じ上げます。  それでも、それでも万が一にも、次のひな祭りまでにお逢い出来ないとも限りませぬ。あなた様が鏡や光りを放つ画面を覗いたとき、長い黒髪と雪のように白い肌の女が飛び出してきたとしましても、驚かれずに微笑んで強く、思い切り強く抱きしめてやって下さいまし。それだけが、私の望みでございます。その日あなた様に喜んでいただけますよう、私は真っ黒な箱の中で朝な夕なに重い黒髪を梳りまする。                                 かしこ
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