前書き

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前書き

 午後十九時、仕事を終えた誠二は、行列をする公衆電話の列に並んでいた。  いつもなら、同僚と飲みに行って帰っていたが、ここ最近は寄り道をせず、真っすぐに帰宅をしている。何故なら、妻の頼子が臨月に入ったからだ。藤野家には、間もなく長女が産まれる。誠二も頼子も、我が子が産まれて来る事に、心待ちをしていた。子供の名は、もう決まっていた。二人で話し合い、『理子』と名付ける事にした。利口な子供が欲しかった、誠二の願いが籠っている。  名古屋駅構内の公衆電話は、毎度ながら帰宅時間は、行列が出来る。皆家族に、帰りの有無を知らせる為だ。誠二もその一人だったが、今日は週末と言う事もあり、いつも以上に、人が蛇の様に並んでいた。  ようやく自分の番が回って来ると、誠二は急いで家に電話を掛ける。頼子とお腹の子供の事が、心配で仕方ないのだ。親馬鹿と言えば、そうだろう。だが世の親と言うものは、皆そんなものだと、誠二は思っている。  家へと電話を掛けると、受話器から頼子の元気な声が、聞こえて来た。 「今から帰るから。」  嬉しそうに誠二が言うと、頼子は「分かったわ。」と、同じく嬉しそうに答える。 「お腹の子は?」 「元気よ。」  毎度同じ会話を繰り返す。二人の確認をすると、誠二はほっと肩を撫で下ろし、安心をした表情で、電車に乗る。これがいつものパターンだった。  今夜も又、同じ会話をするのだと思い、誠二は家に電話を掛ける。だがその日は、いつもと違っていた。明らかに、頼子の様子がおかしかったのだ。この時から、全てが狂いだした気がする。誠二は、そう思わずにはいられなかった。
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