狂った男の言うことにゃ(篠原side)後編

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狂った男の言うことにゃ(篠原side)後編

強請られて義務的に抱いた日に出来たのだと告げられ、僕は呆然とした。避妊はしていた筈だ。というより、僕は基本的にゴムを使用する。それは外で遊びでセックスをする上では性病などの予防としても必要な事だったし、そう多くはなかった妻とのセックスに於いても同じだった。それが、上の子の時に次いで今回も避妊に失敗したというのだろうか? 信じられなかった。自分の事は棚に上げて、妻の浮気を疑った。しかし妻の態度は堂々としたもので、それは自身の潔白を現しているのだろうとその時の僕は思った。 何れにせよ、宿ってしまったものは仕方ない。夫婦なのだし、する事をしていれば2人目が出来るのは自然な事なのだろうが、胸中は複雑だった。 何故なら僕は、妻との離婚を考えていたからだ。 愛緒は男性で、例え妻と離婚したとしても結婚出来る訳ではない。それはわかっているが、初めて愛した人間を日陰の存在にしておきたくはなかった。 僕にとって愛緒は、生まれて初めての恋人であり、唯一共に居たいと思う人間だったからだ。 だが流石に、2人目を妊娠していて、何の落ち度も無い妻に離婚してくれと申し出るのは……。 僕の中のなけなしの情が揺れた。 そんな時だった、愛緒が忽然と姿を消したのは。 メッセージも通話も繋がらず、店に行っても行方はわからない。 あの時僕が味わった絶望がわかるだろうか? 何故、と思った。何故、突然こんな…。 愛緒は僕を愛している、僕から離れようなんて考える筈が無い。何か事件や事故に巻き込まれたのかとも思ったが、それらしいニュースは何も無く。 では、本当に自分の意思で僕の傍から離れたのか、とやっと認められた時、僕の胸の中にはまた初めての感情が生まれた。 暗い、昏い、黒い感情だった。 愛するあの子を決して逃がさない。その為には、やらねばならない事がある―――。 大学時代の悪友の中に、父親の探偵事務所を継いだ奴がいる。和久田という、飄々とした男だ。数年ぶりに連絡を付けた和久田に愛緒の調査を頼み、その傍らで妻との事を考えた。 愛緒の行方は案外早く判明し、僕は和久田から愛緒の日常の行動について逐一報告を受けるようになった。今は少し様子見をしてみた方が良いのでは、という和久田のアドバイスに従ってみる事にしたからだ。 「彼なりに思うところがあっての行動かもしれないだろ?お前の都合ばかりを押し付けると本当に嫌われるかもしれないぜ」 そう言われてしまえば、そうかもしれないと思った。出会って関係を持ち始めてから、僕の都合でばかり振り回してきたのだから。それに、今接触したからといって、妻との関係も維持したままの自分に何が言ってやれるだろうか。 それにあと半年も経てば、2人目の子供が生まれて来る。そんな状況で妻子を放り出す事は色々な面で得策ではないという打算も働いた。 (所在は掴めたんだ。こちらの整理さえつけば、いつでも迎えに行ける…) 滾る気持ちを一旦押し込めて、淡々と日常を過ごす事に決めた。 月満ちて生まれてきた息子は、やはり妻によく似ていた。そして、そんな息子にもやはり僕は愛情が持てなかった。 息子が生まれ半年が経った頃の事だ。僕はとうとう、妻に零してしまった。 「やっぱり君によく似ているな。僕の遺伝子はどの辺りなんだろう」 冗談めかしてなどではなく、本心から漏れた言葉。 ベビーベッドの中でむずがる息子の顔立ちはかなりしっかりしてきていて、上の娘の赤ん坊の頃にもそっくりだ。 僕の言葉に、一瞬妻の表情が固くなったのを見て取った僕は、自室のデスクの中から白い大判の封筒を取り出して来て、テーブルの上に置いた。 訝しげな顔でそれを開けた妻の顔色が変わる。 それは、僕と息子、そして僕と娘の親子鑑定結果の書類だった。 「誰の子かな、2人は」 和久田の勧めで妻の目をかいくぐって子供達のDNAを採取して行った検査の結果は、僕と子供達との親子鑑定を否定するものだった。まさかと思うより、やはりという納得の気持ちの方が大きかった僕は本当に薄情な人間なのだろう。 「…ごめんなさい」 素直に頭を下げた妻に、子供達の父親の事を問うたが、それには口を閉ざす。とはいえ、実はもうこちらでは予想がついていた。 「君の兄の充彦さんかな?」 「!!」 わかり易く肩を揺らす妻に、僕は溜息を吐きながら言った。 「やっぱりそうか」 「ごめんなさい…父と母には、どうか言わないで…!」 それは、知られたくはないだろう。妻と妻の兄は実の兄妹だ。 とうに成人した兄妹にしては、やけに距離の近い、仲の良い兄妹だと思っていた。 だが、疑惑を持ったのはそれだけではない。和久田に依頼した出産後からの妻の素行調査で、僕の帰宅の遅い週末には決まって夕方から妻の兄が家を訪れていた事がわかったからだ。妻の周囲に、他に浮気を疑うほど接触のある男性はいなかった。 勿論、まさかと思った。まさか、兄妹で、と。 だが、僕が寝室に仕込んだカメラにより、それは疑惑ではなく事実だとわかったのだ。 義父母は、一言で言えば無害な善人。そんな人達がこんな事を知ればどれだけ嘆く事か。 「……いつから?」 そう聞いたのは、見合いからセックスに至るまでや、妊娠発覚までの速さに若干の違和感があったからだ。 「……高校の頃から。」 「お兄さんが好きなの?」 「……はい」 「じゃ、何故僕と結婚したの?」 「…子供が出来た事がわかったタイミングで貴方との見合いの話が来たの。結婚してしまえば、貴方の子として産めると思って」 呆れてしまった。道理で式も何も要らないから結婚を、と言った訳だ。娘が産まれたのも、妻には早産と言われたが、その割りにはきちんと育っていた。妊娠出産の事にあまり興味が無いといったって、何処か不自然な事くらいはわかる。 「つまり、托卵先が欲しかったって事か」 「節操なく遊んでいる貴方になら、罪悪感を持たずに済むかと思ったの。だから結婚してからだって、目を瞑っていたでしょう」 俯ていた顔を上げてそう言った妻の目は少し血走っていて、それが気味悪い。しかし口走った内容には内心ギクリとした。 「知ってたのか」 「ええ、最初から。私の友人の中に何人か、貴方と遊んだ子が居たの。だから伯父が持ち込んで来たお見合いの相手が貴方だって知った時、是非お会いしたいと答えたの。会った後は、絶対纏めて欲しいとお願いした。 伯父は…私が貴方に一目惚れしたと思ったみたいだったけど」 「へえ…」 「普通の人なら申し訳無くて出来ないけど、結婚してもどうせ浮気するのが目に見えてる貴方みたいな人なら…私も兄も罪悪感を感じずにいられるかと思ったから」 「大した兄妹だね。それで懲りずに2人目まで作るなんて」 「それは、ごめんなさい…。今回は予定外だったの」 つまり、結婚後も妻は自分の兄と関係を継続していた。僕も不特定多数と寝ていたからお互い様だろうが、子供の事は別だ。 「僕が言うのも何だけど、君達の考え方もどうなんだろうね。浮気は浮気で相殺だとしてもさ。それに、僕がいくら遊び倒してて酷い人間だったとしても、他人の子供を自分の子と偽って育てさせて罪悪感持たなくて良いなんて思われる筋合いは無いよ」 「……そうよね。誰であろうと私達の事情に巻き込んで良いなんて事、無いわよね。 申し訳ありませんでした」 後日、妻と妻の兄、揃っての謝罪を受けた僕は、離婚を切り出した。事情が事情なので弁護士は挟まない事にして、慰謝料は相殺。義父母の手前、多忙によるすれ違いという事にした。養育費の支払いを僕の方から申し出たのは、いくつか理由がある。一応は婚姻期間中に産まれたという事と、養育費を払わないとなると、子供達の出生の秘密を探られてしまうかもしれないという事。子供には罪は無い。 そして最も大きな理由は、妻に愛緒の存在を知られていた事だ。 養育費を一括で払いきっちりと縁を切る事で、今後は互いに不干渉という取り決めをした。 僕は子供達へ対する面会権も放棄したし、妻の側にも僕が愛緒と築いていくであろう将来には関わって欲しくない。 この養育費は、言わば保険だ。ここまでした上で、もし僕の素行や愛緒の事について他言するようなら、此方の方も妻達の秘密について黙ってはいないという。本来僕が支払う謂れの無い金なので元妻や元義兄には恐縮されたが、愛緒との未来を守る為なら、数千万程度の金など惜しくも何ともなかった。 ともあれ、離婚は成立した。 それが僕の職場での評価に影響する事は無かったが、暫く両親には探りを入れられた。恐らく元妻側もそうだったのではないだろうか。彼女との見合いをセッティングしてくれた上司は残念がっていたが、別れてしまったものはもう仕方ないと思ったのか、詮索はしてこなかった。 離婚が成立してもすぐに愛緒を迎えに行かなかったのは、バイトを変えて頑張っている彼の成長をもう少し見ていたくなったという事もある。 そうこうしている内に父と兄が急逝し、僕が実家の事業を引き継ぐ事になり、予備校を退職し慣れない業務に忙殺されたという事も大きい。 当然、その数年の間には愛緒に近づく不埒な輩も居たが、その都度人を使って排除した。いくら愛緒が魅力的とはいえ、僕しか知らない彼の深い部分を味わう事は許さない。それに、僕は愛緒から別れの言葉を告げられてはいない。 つまり、僕と彼は今でも別れてはいないという事だ。 あの頃は言えなかったけれど、僕は愛緒を恋人だと思っている。彼だって、きっと…。 愛緒が姿を消したのはきっと、そんな決断をせざるを得ない何かしらの理由があった筈だ。そして、あの時点でその原因になりそうな事と言えば、妻の妊娠。十中八九、それだろうと思っている。 健気な愛緒は僕と僕の家庭の為に身を引いたのだ。なら、2人の間の障害物が無くなり、自分の気持ちに素直になれた今なら、僕達はきっと最高のハッピーエンドを迎える事が出来る筈だ。 取り引き先の営業で来た愛緒と再会し、彼が4年前に引越したマンションの、空いた隣室も押さえた。忙しい日々の中、週に何度かその部屋に泊まっては、壁越しに愛緒の生活音を聴く。時には、自分で自分を慰めている声やベッドの軋む生々しい音まで。 そんな時には、僕も一緒になって、年甲斐も無く昂ってしまうのだ。 「ああ…本当に可愛い声だね、愛緒…」 君を迎えに行ける日は、もうそれほど遠くないよ。
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