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競技場近くの駅から三時間半ほど電車、新幹線、電車と乗り継いで、やっと見慣れた道を幼馴染みの美弥と二人で帰っていた。俺たちの長い影が左後方に長く伸びている。
「私ね、夕陽が一番好き!」
美弥が急に言った言葉に、俺は意外な気がした。
朝日が昇る時は同じような色でも希望に満ちているのに、夕陽は沈むからか綺麗だけど寂しいイメージを持っていたからだ。
でも、そうだな。美しいのは確かだ。
特に秋の夕焼けは絶品だ。空は高く青く、その空を沈もうとする太陽が段々と茜色に染めて行く。その秋の黄昏時の短いこと。空が橙に光るのはほんのひと時で、太陽はするりと落ちてしまう。後は残り火のように地平線が燃えるだけで、夜が迫ってくる。
美弥は綺麗な夕陽が好きなのだろう。
「じゃあ、秋の夕暮れはすぐ終わっちまうから、寂しいだろ」
俺は夕陽に目を細めて言った。直視すると思ったより強い光が痛いほどだ。すじ雲が桃色に輝いている。今日は気持ちいい秋晴れだった。
美弥が微かに笑う声が聞こえた。
「わかってないな〜! それがいいんだよ。秋は空気が乾いて澄んでるから夕陽の輝きがよく見える。潔く沈んでいくのがまたいいんだよ」
隣を歩く美弥の方を見下ろすと、彼女は、太陽を眩しそうに、そして愛おしそうに見ていた。
美弥は言った。
「夕陽って、なんか、信ちゃんに似てると思わない?」
喜んでいいのか悪いのか分からない言葉だ。俺は怪訝な顔をして美弥を見た。
「全然意味わかんねえんだけど」
美弥は夕陽をまっすぐ見ながら、
「今日、信ちゃん、もう陸上しないって言ったよね。私、そんな信ちゃんを誇りに思う」
と言った。
俺の影だけが動きを止める。
小学生だろう子供たちが楽しげに騒ぎながら俺たちの横を通り過ぎた。
俺は一つの疑問となんとも言えない嫌な気持ちが沸き起こるのを止められなかった。
「美弥は俺が陸上やめんのがいいって思ったのか?」
俺の語気が自然と強くなった。夕陽の赤い光が頬に当たるのがうざったい。午後六時を告げる鐘の音が聞こえてきた。美弥はその鐘に耳を澄まし、鳴り終わるのを待って口を開いた。
「信ちゃんが陸上始めたの、高校からだったよね。それからはもう他のこと目に入んないくらいだった。なのに、高校の三年間でスパッと陸上やめるって言った」
夕陽の光が眩しすぎる。
そういえば、高校に入ってからは日が沈むまで無心で走りこんでいて、こんな風に夕陽をゆっくり見ることはなかった。
俺は美弥の言いたいことがまだ理解できなかった。
「それが?」
美弥は両手を後ろに回してゆっくりゆっくり一歩を踏み出す。俺との距離が少し開いたところでこちらを振り返った。
「それって凄いことだと思う。信ちゃんは三年間、めちゃくちゃ頑張ったんだね。その集大成が今日だった。全力で頑張らないと、最後にあんなに輝けないよね。潔くやめるなんて選択、できないよね。信ちゃんにはそれができた。本当に持てる力全てを出し切った証だよ。沈む前に最後に輝く夕陽のようだった」
美弥は部活に入っていなかった。俺が走りこみをやめるまで毎日ずっとそばで見ていた。まあ、マネージャーのような感じだった。
そんな美弥のくすぐったくなるほどの賛辞。
美弥はそんなふうに思っていたのか。
俺は恥ずかしくなって、
「一位にはなれなかったけどな」
と返した。
「でもベストタイム更新した」
ちゃんと美弥は分かってくれている。
俺は再び歩き出して、美弥の隣に並んだ。
「まあ、うん。それはできた。だから悔いがないのは確かだ」
影がだいぶん伸びた。夕陽は今にも沈もうとしている。
最後の輝き、か。
「綺麗だね。夕陽」
俺の気持ちを読んだように美弥が言った。
「ああ」
美弥が夕陽から視線を俺に移した。見上げてくるその顔は夕陽に照らされてか赤い。
「信ちゃんの輝きも見事だったよ」
「ありがとう」
美弥の言葉を純粋に嬉しいと思えた。
「……信ちゃんが一番、カッコ良かったよ! これからも、信ちゃんが輝くの、そばで見てていい?」
続けてそう言った美弥の顔は夕焼けよりも赤く染まっていて、俺は先ほどとは違う心の騒めきを覚えた。
美弥ってこんな顔するのか。なんだ、部活ばっかりしてたからちっとも気付かなかった。
俺は美弥の眩しさから目を逸らすようにして、どうにか返事を口にした。
段々と俺たちの影が暗闇に溶けてなくなって行く。先ほどまでの眩しさが嘘のように夕陽は深く沈んだ。
俺はこの日の夕陽を忘れないと思う。
了
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