三百七十三話 勉強

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三百七十三話 勉強

仕事用の携帯に直治から電話がかかってきた。 「はい。一条美代です」 『直治です』 「随分と時間がかかってるみたいだね。で、どうなの? 小梢君の息子は」 『もう駄目だな。廃人だよ』 「おやまあ」 『小梢もたった数分で三十は年を取ったよ』 「これからどうするの?」 『小梢は明日からまた、メイドとして働くことになる。都が息子の治療費を貸しても良いと言ったんだ。利息なしで給料から天引きすると。小梢はそれを呑んだ。小梢達に金を貸してくれるところなんて、もうどこにも無いからな。小梢は試用期間中で有給はまだ無いから、少しでも早く金を返すために明日から働くと、本人がそう言ったよ』 「死ぬよりつらいことなんてこの世にはいくらでもある、かあ・・・」 都の言葉だ。小梢と正義を殺さなかったのは、痛苦を味わわせるためだろう。 『息子の正義の容態についてだが、『医者も驚きの犯行』だとよ。『プロの仕業に違いない』と、『こんな台詞を言っているなんて自分でも信じられません』と医者が言っていた。犯人は五人組。全身黒っぽい服装で目出し帽を被って、黒い手袋をしていたそうだ。四人掛かりでおさえつけられて、一人にメスで切り取られた。出血死しないように太い血管は縫い合わせられている。暴れる人間に麻酔無しでな』 「映画やドラマのお話じゃあるまいし・・・」 「『神の犯行』だとよ。『犯人が表の世界に居れば医学界の権威として世界中に名を轟かせただろう』とも。そういうわけで、正義は命に別状はない。それよりも小梢だ。なににも反応しなくなった息子を見て、怒り狂って、泣いて暴れて、トイレで吐いて戻ってきたと思ったら、あっという間に三十も年を取ったように生気が無くなっていた。今は、ずーっと息子のベッドの隣に座ってるよ。で、少し前に都から治療費についての電話が俺にかかってきた。小梢はこれ以外の選択肢を選べない。例え、小梢にとって、都がどれだけ恨んでいる相手でも、な』 「仕方ない。『誰か』に頼んで見張り役を決めるか」 淳蔵の鴉か桜子の蜂だ。 『いや、監視カメラを設置する。そのことで電話したんだ。裏庭の物置にあるカメラ、型は古いがきちんと動く。淳蔵と美代、千代と桜子で相談して、今日中に設置しておいてくれ。面会終了時間は午後七時。そのあとは正義の家に行って着替えだのなんだの用意して病院に届けてから館に戻るから、九時過ぎになると思う。頼めるか?』 「いいよ。運転嫌いの直治が自分から進んで『外』に出てるんだ。お兄ちゃんとしても応援しなくちゃね」 『・・・ありがとう』 「他に用件は?」 『都の機嫌はどうだ?』 「大分良くなってるよ。あとでちゃんと話しなよ?」 『・・・わかった。ありがとう。それじゃ』 「またね」 電話が終了する。俺は都に『監視カメラを設置する』とだけ連絡して、他の皆を集めた。 「監視カメラを設置するんですか?」 真美が不安げに聞く。こいつの罪状は、ある若夫婦が必死に金を溜めて建てた家に遊びで忍び込み、未成年で喫煙、飲酒、性行為のパーティーを繰り広げ、煙草の不始末で家を燃やした。本人は更生したつもりだろうが、見張られるのは性に合わないのだろう。 「防犯のためにね。音声は無しで映像だけだよ。社長の都がお喋り好きだから、廊下なんかで色々話すだろうしね。設置する場所は、一階は玄関、食堂、談話室、キッチン、書斎、医務室、一階の廊下、二階に続く階段。二階は廊下、三階に続く階段。三階は廊下。手分けして設置しよう。淳蔵、千代君、紫苑君が一階。俺と桜子君と真美君で二階。三階は俺が設置する。設置し終わったらダブルチェック。一階の班と二階の班を交代してカメラの設置場所と角度を確認。さあ、早速取り掛かろう」 こういう時、広過ぎる我が家になんとなく感動してしまう。三時間程で監視カメラの設置、角度の確認を終える。俺と淳蔵はそのまま談話室に集まった。二人で話すのは味気無いと、通りがかった桜子を呼び止めて輪に加わってもらう。 「あっちゃん! みーくん! あっ! さっちゃん!」 「ひろ君、こんにちは」 「こんちは! なおさんはおしごとー?」 「直治は仕事だよ」 「今日はなに描くんだ?」 「これー!」 ひろが掲げたのは、子供用の魚図鑑。 「みやこちゃんがくれたの! おさかな、まねしてかく! あっちゃん、いろえんぴつとってー!」 「ほいよ」 「ありがとう!」 いつも通り這いつくばり、画用紙を広げて色鉛筆で魚の絵を描き始める。 「あのねー、こんどかんじどりるかってもらうのー」 「漢字ドリル?」 「うん! みやこちゃんがママとおはなししてきめたんだってー。ひろ、かんじおぼえる! かんじをおぼえたらいーっぱいほんがよめるよ! ほんをいーっぱいよんだら、ひろのおえかき、もっとじょうずに、たのしくなるって! あのね、ひろ、がかになりたいんだ! みやこちゃんがー、えっと、ひろおぼえられなかったけど、たいせつなことおしえてくれたの!」 「『絵に命を与えるためには、想像力を掻き立たせるリアリティーが必要。だから絵の勉強だけではなく、世界を勉強して、生活を愛することも必要』・・・ですか?」 「さっちゃんすごい! だからー、がっこうでおべんきょうしたり、おともだちとあそんだりするのも、えのべんきょうしてることになるんだってー!」 「ひろは勉強好きだねえ」 「うーん、しょうがっこうにはいったらずーっとべんきょうするんでしょ? ずーっとはいやかなあ・・・」 「あははっ、確かに。ずーっとは俺も嫌だなあ」 「なに言うとるねん弟よ。ほぼ独学で大学受験して合格して卒業したくせに」 「ほぼな、ほぼ。予備校通ってたし。っていうかそれを言うなら兄貴もだろ。資格取得のために毎日参考書開いてるじゃないか。資格者証何枚持ってんだよ」 「古いヤツで都とババ抜きしたことある程度には」 「なんという遊び方を・・・」 桜子がくすくす笑う。 「一番簡単な資格ってなんだった?」 「『カッパ捕獲許可証』だな。観光協会に直接行って買うか、オンラインショップで買うかの二択。値段は三百円で釣りがくる。許可期間は購入してから一年。カッパを捕獲して仲良くテレビ局に行くと賞金一千万だとよ」 「フフッ、カッパ、カッパねえ。居るのかなあ、そんな生きもの・・・」 「仲良くなるには、やはり胡瓜でしょうか? 鞄に常備しておかなければ・・・」 御伽噺、都市伝説、怪談。一体どれに当て嵌まるのか。俺は白く美しい竜の姿を思い出して、笑った。
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