テディベア ベティ

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 あるところにメアリーという一人娘を持つ家族がいました。家族の仲は良好で、休日になるとよく三人でピクニックに行ったり、動物園に行ったりと、誰が見ても幸せな家族でした。  そんな一人娘のメアリーが、誕生日を迎えました。家ではささやかながらも、お母さんの手作りケーキと、料理が得意なお父さんが腕を振るって誕生日パーティーが開かれていました。 「ハッピバースディトゥユー、ディア、メアリー。ハッピバースディトゥーユー」 「さぁメアリー、ケーキの火を吹き消して」 「うん!」  お母さんに言われて、メアリーは勢いよく息を吐きだしました。でも、なかなか消えません。 「がんばれ!」  三度目の息の吐きだして、ようやくケーキに刺さっていたろうそくの火が消えました。 「おめでとう!」 「誕生日おめでとう、メアリー!」 「ありがとう、パパ。ママ!」  お父さんは部屋の電気をつけて、お母さんがケーキを切り分けます。口や手、テーブルを汚しながらも、嬉しそうに、おいしそうに食べる娘の姿に、両親も笑顔を浮かべます。  食事を片付け、テーブルも綺麗にしたところで、お父さんが部屋の奥からプレゼント袋を持って、戻ってきました。 「メアリー、誕生日プレゼントだよ。大事にしてあげてね」 「わぁ! パパ、開けていい?」 「もちろん」  メアリーはさっそくリボンを解きました。すると中からでてきたのは、中くらいの大きさのテディベアでした。ちょうどベティが抱っこするのにちょうどいい大きさでした。 「すごい! かわいい! パパ、ママ。本当にありがとう! この子、一生大事にするね! 名前はなにがいいかな~」 「名前をつけてあげるの?」 「うん! あ、そうだ!」  メアリーは一度、二階にある自分の部屋に駆け上がると、あるものを持って戻ってきました。そして、プレゼント包装に使われていたリボンにそれを通していきます。 「できた!」  メアリーは完成したものを、テディベアの首に回してきゅっと後ろで縛りました。メアリーが作ったもの、それは鈴の首輪でした。 「これでこの子は、わたしだけのもの! 名前は……ベティ! 今日からあなたはベティよ! よろしくね」  メアリーはベティを腕の中に閉じ込め、顔に頬ずりをしました。 「喜んでくれてよかった」 「えぇ。そうね」  満面の笑みを浮かべる娘に、両親も微笑ましそうに見つめました。  それからというもの、メアリーはどんなときでも、ベティを持って行動しました。家の中を歩き回るときは勿論、外出するときも、お気に入りのリュックに入れたり、なくさないように腕の中にぎゅっと抱きしめて持ち歩きました。  その後の誕生日でプレゼントをもらっても、メアリーのお気に入りはベティのまま変わることはありませんでした。  メアリーはついに、学校に行く年齢になりました。さすがのメアリーでも学校にベティを持っていけないことはわかっています。だからメアリーは、毎日、学校から帰ってくると、お母さんやお父さんたちより先に、ベティに一日の出来事を話すことを日常としていました。  それは中学生や高校生、大学生のときになっても変わりませんでした。  友達に笑われても、古びたベティを手放すことはありませんでした。  やがて、メアリーは社会人となって働くことになりました。そしてその勤め先で、運命の相手と出会います。 「君の仕事に真摯に向き合うところに惚れたんだ。僕と結婚を前提にお付き合いをしてほしい」 「はい! 喜んで!」  彼、スティーブはどんな仕事もそつなくこなし、上司や周りからも信頼のおける人物で、とても人気のある爽やかな男性です。そんな相手にメアリーもひそかに想いを寄せていました。その相手から告白されて、メアリーは舞い上がりました。  家に帰ってきたメアリーは、真っ先にベティに報告しました。 「聞いてベティ! 今日、好きな人に告白されたの! 結婚を前提にお付き合いしてくださいって。あぁ。なんて素敵な日なのかしら!」  メアリーはベティを抱き上げてその場でクルクルと周り、ぎゅっとベティを抱きしめました。 「本当に夢みたい……」  それからメアリーはスティーブとお付き合いを重ねました。一緒にカフェを巡ったり、美術館や博物館、映画館に行くこともありました。そしてメアリーはいつも、ベティに報告を欠かさずしていました。  やがて二人は、結婚式を挙げることになりました。  綺麗な真っ白のウエディングドレスに身を包んだメアリー。ビシッとしたタキシードを着たスティーブ。二人は多くの人にお祝いをしてもらいました。もちろん、式にはお母さんに頼んで、ベティも連れてきてもらっていました。その時のベティはテディベア用の衣装を着せて、少し身ぎれいにしてありました。  結婚式後、メアリーとスティーブは、二人だけの新居に引っ越しました。そのとき、メアリーは勿論、ベティも連れてきていました。しかし、二人のベッドルームに置かれた古びたテディベアを見て、スティーブは顔をしかめました。 「メアリー、その、結婚式の時も実は気にはなっていたんだが……その汚れたテディベアはなんだい?」 「この子はベティよ。私が3歳の誕生日の時に、お父さんとお母さんからもらったの。小さい時から、毎日のことをこの子にお話しするのが日課なのよ」  嬉しそうに話すメアリーに、スティーブは言葉を選ぶように視線を周囲に巡らせます。それを見て、メアリーは不思議そうに首を傾げながら、ベティの頭を撫でていました。やがて、意を決したように、スティーブは口を開きました。 「……メアリー。物を大事にするのは、とてもいいことだと思う。だけど、物にもね、寿命ってものがあるんだ。そのテディベアは、そろそろ限界だと思うよ」 「な、なんでそんなこと言うの!? この子は私とずっと一緒にいたのよ!?」 「だって、その子、全体的に汚れているし、目も取れかけているじゃないか。腕や体の縫い後からも綿が出てきてしまっている。もうそれ以上の修繕は無理だよ」 「……」  メアリーはベティを見つめました。スティーブの言うように、小さいとき時はよく持ち歩いていたため、ほかのぬいぐるみよりも痛みが早く、いつも抱きしめたり、時には涙をこぼしたり、どんなものよりも大事にしていたからこそ、ベティはぬいぐるみの原型をとどめているのがやっとというほどでした。  スティーブはメアリーの肩に手を置きます。 「メアリー。このベティも、きっと君のウエディングドレスの姿を見ることができて、幸せだと思う。だからこそ、もうその子に依存をするのではなく、解放をしてあげよう」 「解放?」 「そう。このまま、メアリーのそばにいれば、ベティはもっと酷い姿になってしまうかもしれない。たとえば、腕が取れてしまうとか。そういう姿は、ベティも見られたくないんじゃないかな」 「……私も、見たくない。ベティがこれ以上、ボロボロになっていくのを、そばで見ていたくないわ」 「そうだろう? だから、この子は手放そう」 「……うん」  メアリーが落ち込みながらも頷いてくれたので、スティーブはホッとしました。 「メアリー。もし君が代わりの子が欲しいというのなら、僕が君の誕生日に送ってあげるよ」 「ありがとう、スティーブ」  そうして、ベティはごみの日に、捨てられてしまいました。  それからというもの、メアリーは不思議な夢を見るようになりました。  あたり一帯は真っ暗で、遠くのほうでチリン、チリンと鈴の音が聞こえるのです。それは夢を見る度に音が近づいてきているようでした。 「なんだか怖いわ。音が少しずつ、近づいてくるの。でも、どこを見渡しても真っ暗闇が続くだけ。近づいてくる物の姿はどこにもないの」 「きっと、仕事で疲れているからそういう夢を見るんじゃないか? ここ最近の君は、いつも忙しそうに働いているからね」  メアリーは結婚しても仕事を辞めず、スティーブとともに働いていました。だから最近のメアリーの憔悴した様子に、スティーブも心配していました。 「少し、仕事を休んだらどうだい? 今は忙しい時ではないんだし。君には休養が必要だよ」 「そうね。そう、上司に申請するわ」  メアリーは一週間のお休みをもらうことができました。  朝食を作って、スティーブと一緒にご飯を食べて、そして彼を見送ります。そのあとは、あまり細かいところまで家の中を掃除したりしていました。  気分転換に外に散歩に行くことがありました。家の近くに開けた自然が多い公園があって、子どもたちの遊ぶにぎやかな声が聞こえてきます。 (いつか、私のお腹にも、新しい命が宿るといいなぁ)  その時、チリンっと鈴の音が近くで聞こえました。メアリーは振り返りますが、そこには誰もいません。ただ、どこからか誰かに見られている気がしました。ですが、何度見回してみても、そこにはメアリーしかいません。メアリーは額を抑えて頭を振りました。 「ちょっと、神経質になりすぎているのね。今日はもう帰って休もうかしら」  視線は気になるものの、外に出たついでに夕飯の買い物を済ませて、家に帰りました。食材をしまい、一息ついたとき、またチリンッと鈴の音が聞こえます。 「もう! なんなのよいったい!」  メアリーは思わず怒鳴りますが、今家にいるのはメアリーだけ。当然ながら、返事はありません。 「……スティーブが帰るまで、まだかなり時間があるから少し横になりましょう」  メアリーは寝室に向かい、ベッドに横になって目をつぶりました。やがて意識はまどろんでいきます。  そんなとき、静かに寝室のドアが開いた音がしました。不思議に思ったメアリーですが、瞼を開けるどころか、体を動かすこともできません。  その後、ぽてぽてぽてと軽い足音とともに、鈴の音がチリンチリンと鳴り響きます。それはベッドで横になるメアリーの頭の付近で止まりました。そして再び、チリンチリンと音を立てて、何かがベッドの上に乗ってきました。ベッドに乗ったそれは、メアリーの顔をじっと覗き込みました。 「ねぇ、メアリー。ぼくはどんなときも、メアリーのそばにいてあげたのに、なんで、ぼくをすてたの?」  そこでメアリーはハッと目を開きました。視界に映ったのは、よく研がれた包丁と、それを持つ、汚れて片目がとれ、腕や腹部から綿が飛び出たベティの醜い姿でした。
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