役目と現実

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役目と現実

王宮の中で蔵書室が一番好ましい。本の匂いに満ち、陽の光が当たるテーブルは木漏れ日に包まれたように穏やかな時間を過ごせ、古書を保管している場所は地下にあるため暗く静寂で、世の中の雑事を頭から引き離すことが出来た。魔法で明かりをつけながら歩くので魔力を消耗してしまうのが玉に瑕だが、大した問題ではない。  上階から持ち出した2冊の本を手にしながら、高い本棚で出来た迷路のような通路を歩き、目的の場所にたどり着く。古代文字が削り込まれた棚には色褪せた背表紙が並んでいて、本のタイトルさえもあせて読むのが困難なものもあった。首を歪めるほどの高さの棚には『刻印の全て』『魅了から解き放つ』『天候と魔法風の関係性』……魅力的な書籍がたくさんある。魔法燈を近づけて、マリアは真夜中のようなブルー色の本を手に取った。 『特異魔法 アセベルの医療行為』  アセベルは古代の魔法使いの名前だ。増大な魔力を人を救うためだけに使ったと言われる偉大な魔法使いだ。伝説はいくつも残され、アセベルの魔法の中には解明できていないものも多くあった。アセベルに限らず、古代の魔法は複雑で謎に満ちている。王宮で特別な研究者が雇われているほど、古代魔法の解明は重大なものとされている。  ミッドナイトブルーの表紙には金色の糸で刺繍されているが、古びていて所々ほつれていた。息を吸うと古書独特の匂いが鼻をくすぐる。マリアは満足気に微笑みながらその本を2冊の間に挟もうとすると、右腕に鋭い痛みが走り、古書を床に落とした。重い本が落ちる音が響き、息を潜める。  周りから他の物音はしないか耳を澄ませて、息を吐いた。地下には限られた人間しか入ることが許されていないので、他人と会うことは少ないが、私が地下室にいることを知られたくなかった。震える手で拾い上げて本の間に挟む。  本棚の迷路を戻り、重い木製の扉を体重をかけて開いた。ほんの少し陽の光が降りてきて、目の前に、回り階段が現れる。明かりを消し、扉に鍵をかけて、長い階段を登ると、表向きの蔵書室にたどり着いた。地下とは違い新鮮な空気に満ちた明るい部屋だ。先程見つけた本の題名を手で隠して、足早に出口へ向かった。 「マリア」 「アスター殿下」  声をかけられて息を呑んだ。振り向くと黒髪黒眼の男性が本棚の影から現れた。ダークな装いは一見地味だか、国章が刻印された飾りボタンやコートの刺繍の細やかさから彼の身分が窺える。幼少期は赤いお召し物を身につけていることが多かったが、最近は黒や紫を身につけているのをよく見かけている。心臓が早鳴りするのを感じながら、本を持つ指に力を入れ、膝を曲げて挨拶をした。 「今日は王宮に来る日だったかな」 「少し学びたいことがありましたので参りました」 「私にも連絡をくれたら良かったのに」 「お忙しい王太子殿下のお時間を頂くわけにはまいりません」 「マリアのためなら仕事なんて後に回せるよ」  アスター王太子殿下は常に穏やかな笑みを浮かべている。腹の黒い貴族やタチの悪い商人を相手にしている時でさえ引き攣っているのを見たことがない。整った顔立ちは令嬢はもちろん民も褒めたたえていた。眉目秀麗、品行方正、文武両道な未来な王に期待を寄せているのが市民新聞の記事にも表れている。 「ご冗談を。側近の者が嘆きますよ」 「君が喜んでくれるなら構わないさ」 「お言葉だけでありがたく思います」  娯楽小説に書かれている言葉を口に出そうとも彼の笑みは崩れない。マリアは桃色の口元を上げて笑みを作って応えた。端が痙攣するように震えている感覚がする。 「喜んではくれるんだね」  「殿下に謁見できることは光栄であります」 「マリアは堅苦しいな」 「申し訳ございません」   そんなことは自分でも分かっている。貴族令嬢、王太子妃候補の枠組みからはみ出さないよう教育を受け、それ以上はできないし、規則を破る権利も存在していない。『品位を守り、殿下が恙なく公務を送れるように支える』ことだけが存在意義だ。 「いいよ。責めたわけではない」 アスターは小さくため息を吐いて、金属製のドアノブを掴んだ。
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