憎くて、愛しくて、やっぱり憎い

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 私が3歳の時、桜餅を食べた曾祖母が喉に詰まらせて死んだ。餅をよく噛んで食べなかった本人の不注意と言えばそれまでだけれど。私には曾祖母の記憶はほとんどないけれど。  私が5歳の時、初恋の子がさくらちゃんという女の子に惚れてしまった。誰も悪くないけれど。強いて言うなら私の魅力が足りなかっただけなのだけれど。  私が8歳の時、好きだった子は佐倉先生という若手の先生に夢中だった。仕方ないことだけれど。むしろ先生は困惑していたのも知っているけれど。  私が12歳の時、私の中学受験の第1志望はサクラ咲かなかった。受験は相性な部分もあるけれど。きっと私の努力が足りなかっただけなのだろうけれど。  私が17歳の時、私の憧れの人は桜の木の下で告白して伝説通りに成功してしまった。伝説のせいじゃないけれど。勇気がなかった私には何も言う権利はないけれど。  私が23歳の時、マッチングアプリのサクラに引っかかってしまった。私が馬鹿なだけだけれど。いると知っていたのにロクに疑わなかった私が悪いのだけれど。  私が30歳の時、昔密かに好きだった従兄弟が結婚してしまった。ピンクの紙吹雪のフラワーシャワーが憎くなるほど幸せそうだった。ただの憧れだったけれど。淡い恋にさえなっていなかったけれど。  きっと私は、桜に嫌われている。そう思っていた。上等だ、私だってあんたなんて嫌いだ、と春になると桜を睨む。だけれど、なんで桜ってのはあんなに美しいのかな。毎年見惚れてしまうのがまた憎らしい。  ――ほんと、"さくら"なんて全部きらい。  私が38歳の時、桜舞う公園で、桜を愛する彼に出会った。ひと目惚れですと告白された。ひと目惚れされたのも、告白されたのも、初めてだった。少しだけ桜を好きになった。  私が47歳の時、彼の思いつきでサクラという音のつく地域への旅行を始めた。何もないようなところも多かったけれど、楽しくてそれから毎年違うサクラに旅行した。また少し桜を好きになっていった。  私が57歳の時、水晶婚式だからと、彼から桜の装飾のついた水晶のネックレスを貰った。桜の装飾はあなたの趣味かと聞いたら、「桜は僕らを出会わせてくれたから」と彼がはにかんだ。ロマンチックで恥ずかしかったけれど、本当は私もそう思っていた。  私が68歳の時、彼が桜の盆栽を買ってきた。この時から毎年、春にはリビングで小さな花見をするのが恒例になった。うんうん唸りながら桜盆栽の世話をする彼が愛しかった。昔はあんなに憎かった桜も、とても可愛く思えた。  ――彼のせいで桜に惹かれてしまった。  私が80歳の時、桜盆栽の最後のひとひらと共に彼も散ってしまった。あんなに可愛かった桜が、酷く恨めしかった。桜が彼を連れて行ったわけではないけれど。桜が散らなければ生きていてくれたわけではないと解っているけれど。  彼は楽しそうにやっていたけれど、桜盆栽は案外と手がかかる。ただでさえ彼を喪ってから桜が忌まわしくて仕方ないのに、水やりの頻度だの置き場所だの、まったく世話が焼ける。かと言って譲る先もないし、彼のいない寂しさを紛らわせてくれているのも事実で、それがまた悔しくて憎い。  ええっと、私はいま何歳だったかしら。もう数えるのもやめてしまった。90歳とちょっとくらいだったと思うのだけれど。最近はなんだか酷く眠たくて、桜盆栽の世話もままならなかった。あまりお腹も空かないし、1日のほとんどを寝て過ごすようになった。私がこんなだから、布団から見た桜盆栽はもう春だと言うのに花をつけていない。あんたも私より先に逝くのね。私のことは見送ってもくれなかったわね。  ――ねぇ、やっぱり私、桜なんて大嫌い。  ああ……いままでで……いっとうねむい……。
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