薬茶と夏風

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 才気煥発なブリタニアの英雄が風邪など聞いたら、部下たちはなんと命知らずな西風と喚くことだろう。  アンブロシウスは緑の黒髪が麗しい花妻エオファに診てもらいながら、重い身体を横たえていた。彼女は薔薇色の唇を尖らせながら、せっせと汗を拭いている。窓から差す柔らかな昼の光が、憂鬱な黒うさぎの横顔を照らしている。アンブロシウスは揺れるブナの葉の群れを一瞥した。 「わたしとしたことがアンブロシウスさまに風邪を拾わせてしまうとは不甲斐ないですわ。せめて、一日でも早く直さなくてはです」  彼女は貴女でありながら、隣の帝国で薬師として遊学した来歴を持っている。従兄曰くあのカタラウヌムの戦いにも従軍していたという。 「いや、エオファ。俺は昨日まで出張していただろう。そこで運悪く拾ってしまっただけだ」 「そもそも不調を起こさない肉体を作ることが妻であり薬師であるわたしの役目なのです。そう、東洋には『未病』という概念があります。これは病気一歩手前の状態を指す言葉で、向こうの方々は未病を改善することで病を予防することを重視したとわたしの先生は語っていました」  つまり、『未病』の改善が十分でなかったため夫が風邪を引いた。大方そんなことだろうとアンブロジウスは考えた。彼女は淑やかだが、薬師としてのプライドは十分高い。  爽やかな薬茶の匂いが、部屋の中に満ちていく。 「タイムとフェンネルのお茶ですの。今日はとにかく、悪いものを出しましょうね」  彼女はひげが伸びかけた夫の頬に、小鳥のようなキスをした。
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