春風が運ぶ恋

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店仕舞いした深夜の作業場に佇む人影がひとつ。 肩で息する浅い呼吸音が寒々しい作業場に嫌に響いた。 磨き抜かれたシンク。蛇口の先に溜まった水滴がポタンとひとつ落ちた。 作業台に綺麗に並べられた道具たち。おもむろにひとつ手に取ると、以前は手に馴染むようだった道具がずしりと重く感じる。 その手が小さく震え始める。 どれだけ心や頭で自分の右手をなだめても、その震えは次第に大きくなっていった。 怯えるように道具は少々荒っぽく置かれた。 バタバタと苛立つように道具を片付けて、その人影は作業場を逃げるように後にした。 寝室への階段を登る足音を聞いていた母親が、寝ていたフリをしていた目を少し開けて、また再び目を閉じた。
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