オメガの恋

6/6
64人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
 昼間は夏を先取りしたような熱気だったが、太陽が水平線に沈んでしまうと流石に肌寒さを覚えるようになった。陸から海へと吹き下ろす風が二人の髪を後ろから揺らす。  ずっと颯太の肩を抱いていた手を離し、湊はマックを片手で抱いたまま立ち上がった。本番はまだ遠いとは言え、受験生に風邪をひかせるわけにはいかない。 「(さむ)なってきたな」  風で乱れた長めの前髪をかき上げて、湊は颯太に視線を落とした。颯太は立てた膝を抱え込んだまま湊を見上げてくる。かすかな残照と、駐車場から届く明かりで、かろうじて颯太の表情は読み取れた。迷子の子犬のように不安そうだ。 「ほら」  湊が片手を差し出すと、颯太はそれを遠慮がちに握り返した。湊の方から強く握り返して引く。颯太が腰を上げた。 「腹減ったやろ。そろそろ帰ろか」 「ん……」 「どっかで食うてくか? マック連れて入れる店で良ければ寄れるけど」  駐車場に向かって歩きながら聡太に問いかける。湊の方はあまり食欲はなかった。腹は減っている筈だが、胃のあたりに不快感が溜まっている。 「どうする?」 「んん……今日は帰って食べる。おかんに言うてきてへんし」 「ああ、もう準備しとるか」 「たぶん」  話しているうちに駐車場についた。来た時には他の車もチラホラとあったが、今はもう湊の車しか残っていなかった。  静かな駐車場でマックの毛を払いなるべく砂を落としてからドライブ用のハーネスをつけた。後部座席に座らせてシートベルトをハーネスに通す。子犬の頃から慣れさせているため、マックは嫌がる素振りもなく素直にされるがままになっている。  湊が帰り支度をしている間、助手席のドアの近くに立った颯太は所在なさげに制服のスラックスについた砂を払っていた。後部座席のドアを静かに閉めて、湊は車を回り込んで颯太のそばに立った。 「……颯太」 「ん、なに?」  颯太が手を止めて湊に視線を向ける。手を伸ばせば届く距離で向かい合うと、自然と湊は颯太を見上げる形になる。 「俺で良かったら話聞いたるから」 「湊く……」 「あんま抱え込まんようにな」 「……ケーベツしてへん?」 「してへんよ。……せぇへんって言うたやろ」 「ん……」  颯太の顔が泣きそうに歪む。まん丸い瞳に涙の膜が張り、それが駐車場の外灯を反射して煌めいた。  子供の頃ほどではないが、相変わらず颯太は少し涙脆い。感情が素直に出るのだ。それにもともと目の水分量が多いようで、ちょっとしたことですぐに潤んで煌めく。  そういうところも好きやなと湊は思う。どうしようもなく可愛い。 「ありがと、湊くん」 「……ん」  颯太が安心したように微笑んだ。真正面から礼を言われ控えめな笑顔を向けられて、湊の方が居心地の悪さを覚えた。「あん!」と、痺れを切らしたようにマックが短く鳴いたのを切っ掛けにして運転席へ回る。颯太も助手席に乗り込んだ。車を発進させる。行きと同じように颯太がラジオをつけた。控えめな音量で古い洋楽がかかる。 「……湊くん」 「ん?」  海沿いの細い通りを抜け、大通りに出た辺りで颯太がぽつりと口を開いた。 「今日、湊くんに話聞いてもらえて良かった」 「そうか?」 「豊のこと好きなん……今まで誰にも言えんかったから。ちょっとラクんなった」 「……なら良かった」  颯太の言葉に、湊は安堵よりも痛みを覚えた。 「俺も分かるで」  だからだろうか、そんな風に言葉を続けてしまったのは。 「分かるって?」 「片思いがしんどいの」 「湊くん、好きな人おんの?」  颯太が驚いたように声のトーンを少し上げた。運転中なので直接顔は見られないが、丸い大きな目をさらに大きく見開いてぱちぱちと瞬いているのが簡単に想像できる。湊は、ふっ……と小さく笑った。 「おる」  短くこたえる。とっくの昔に……自分がオメガで颯太がベータだと分かった時に諦めて終わらせた筈の恋心が苦しく胸を締め付ける。 「片思い……?」 「せやな」 「湊くんでも片思いなんかするんや」 「でも、てなんやねん」  思わず零した、というような颯太の言葉に短く突っ込む。 「やって、湊くん、こんなに格好よぉて綺麗やん」 「それと片思い関係ないやろ」 「えー、湊くんに好きや言われたら誰でも好きになっちゃいそうやけど」  相変わらずやな……と湊は思わず苦笑する。颯太は昔から湊に憧れてくれている。その真っ直ぐな憧れが恋に変わることはなかったが。 「そんな単純ちゃうやろ?」 「そうかなぁ……。やって湊くんやで? 昔からめっちゃモテてたやん。女の子だけやなくて男でも、本気で湊くんのこと好きな奴おったで?」  颯太の言葉が苦しくて、湊は思わず「くくっ」と声を出して笑った。 「……ほな颯太は?」 「え?」 「俺に好きや言われたら好きになんの?」 「え、えぇ? 俺ぇ? 俺は……やって……」  驚いて上擦った声を上げた後で、颯太がもごもごと口ごもる。その反応に湊はまた笑った。 「ほらな」 「やって俺は……豊のこと好きやし……」 「な? そんな単純な話ちゃうやろ?」 「んん……そらそうやけど……」 「ままならんもんやねん」 「ままならん……」 「やろ?」  湊の言葉に思い当たることがあったのだろう。「うん」と頷いた颯太の声はそれまでとは打って変わって、妙にきっぱりとしていた。  ……本当にままならない、と湊は思う。理性でも本能でもなく、もっとあやふやで理不尽で頑なだ。  それをきっと、恋と呼ぶ。  
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!