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呉越同舟
タイムトライアルの翌日決勝。大方の予想通り、ホンダやヤナハ勢は苦戦を強いられていた。
「……くっ!」
「……鋭い」
勲矢那美も本田千晶も、コースを水を得た魚の如く駆けまわるスズキRGBγ250二式改とカワサキZXR-09RRに翻弄されていた。いや彼女達だけでなく。
「……速いわね」
「もうっ! 何なのよっ!」
YRFのエースライダー間宮乃彩も、第一宗麟高校の佐々木原雅も例外ではなかった。
タイムアタックと本選レースとでは、必ずしもタイムがその速さに直結する訳ではない。ガソリン満タンのマシン、レース直後は低いが進むにつれて垂れて来るタイヤ、1つのコーナーに犇めきあうライダー達。いつでも毎回自分のベストラインで回る事さえ至難と言えるだろう。
それでも、圧倒的なマシンの性能差による速さの違いは如実に現れる。もしも各ライダーが同じ条件で走っているならば、差が付くのは間違いなくマシンの性能なのだ。
「今日は、早々に行かせてもらう」
「行く……抜く……。うふふ……。あはは! ぎゃっははははっ!」
まだまだ混戦と言って良い2周目。先行していた那美と千晶のNFRを、岸本美紗の駆るRGBγと漆原凛子の乗るZXRが早々に躱しに掛った。
まだまだガソリンはフルタンクで、タイヤも温まり切っているとは言い難い。路面温度も上がり切っておらず、勝負を仕掛けるには時期尚早なのは誰の目にも明らかだ。
それでも躊躇なく抜きに行けるのは、これもまた偏にマシンの能力差に依る処だろう。
レース開始直後にして、今回のレースはもはや美紗と凛子の一騎打ちの様相を呈していた。
「……だが!」
スズキの新型マシンは、何も美紗にだけ支給された訳ではない。それはカワサキのマシンも同様であり、使用しているのは凛子だけと言う訳ではなかった。
SRCやKMRの第2、第3ライダーも使用しているし、特にスズキやカワサキとの繋がりが深いチームにも支給されていた。
それでも、そのマシン性能をふんだんに発揮するにはやはりライダーの技量が必要であり、誰でも速く走らせる事が出来ると言う話ではない。
……つまり。
『レースは5周目に突入し、各ライダーの順位は一先ず落ち着きを見せております。先頭はSRCゼッケン46岸本選手! 2番手を走るのはKMRゼッケン2漆原選手! そしてやや離されてHRTゼッケン1勲矢選手、SRCゼッケン13入江選手、YRFゼッケン26間宮選手、翔紅学園ゼッケン7本田選手、第一宗麟高校ゼッケン12佐々木原選手、以下続きます!』
多少の性能差は、ライダーの技量によって埋める事が出来るのだ。誰にでも出来る事ではないにしろ、トップライダーと呼ばれる者達ならばそれも不可能な話ではない。
現状美紗や凛子に太刀打ち出来ないとは言え、それ以外の……それ以下のライダーの後塵を浴びる事を良しとしない那美は、断固たる決意を以て3位をキープしていた。そしてそれに、いつもの上位常連が続く。
マシンの性能に物を言わせて、普段よりも大胆かつ果敢に挑んでくるSRC2番手ライダー入江綾子のアタックを、那美はその卓越した技量で難なく防いだのだが。
「まだまだぁっ!」
よほど新型バイクのポテンシャルに気を良くしているのだろう、彼女は執拗に那美へと攻撃を続ける。この際は、ノリと勢いが綾子の背を押しているといって間違いないだろう。
本来はまだまだ序盤であり、ここで無理をして攻める必要などない。マシンの性能差が明らかならば、それは後半に結果となって如実に表れるのは明白だ。
それでも綾子が執拗に那美を抜こうとしているのは、単に気分よく乗れているからだけではなく、それに伴って冷静な判断がつかないでいるのだった。
「行かせないと……言っているだろう!」
それに対して那美も、あえてガッチリとブロックラインを選択し、綾子が先行するを許さなかった。これもまた、普段の彼女ならば取らない選択だろう。
もっとも、那美の方は相応の理由があったのだが。
那美の方としても、この段階でムキになる必要などどこにもない。無理をして張り合ったところで、リスクだけが増大するのは那美ほどのライダーならば考えるまでもない事だろう。
「くぅっ! 流石っ!」
それでも、そんな那美の思考をもってしても、今この場で後続を安易に前へ出す事が躊躇われたのだった。
新型マシンを駆るライダー達は、軒並み好調を見せている。現に、これまでのレースではまともに那美と張り合えなかった綾子でさえ、このように彼女へとアタックを仕掛けてこれるのだ。
レースは順位を競い技量を示す場であると同時に、戦略や作戦を綿密に立て、選手がいかにそれを実行出来るかという駆け引きの場でもある。
仮にここで那美が綾子を先行させても、後半に巻き返すチャンスは十分にある。もしかすると、マシンに乗せられた彼女は勝手に自滅するかも知れない。いや、その公算は決して低くはない。
それでも那美は、やはり後続を前へ行かせるという選択肢は取らなかった。これは明確な理由があるという訳ではなく、ほとんど彼女の直感といって良い判断なのだろうが。
ただし、誰でもない勲矢那美の直感である。小難しい理由を付けるよりも、余程信用できるという事でもある。
那美は、自分というライダーを抜かせる事で、綾子や他の後続ライダーが更に調子付くのを嫌ったのだった。
ホームストレートから数えて3つのストレート、そして5つのコーナーを、最高速度と旋回能力で劣るNFRで何とか後続を抑え込んだ那美は、バックストレートまでのテクニカル区間へと突入した。
コーナーの続く区間では、マシンの能力差は大きく出にくい。那美はここで、出来るだけ後続を引き離そうと考えていた。
無論、まだまだ本調子を出せない状態に変わりはないが、それは他のライダーと手同じ事。……実際。
「くっ……! 付いていけないっ!」
綾子は那美のテールに付くどころか、付いて行くのも難しい状態に駆られていた。……そして。
「……那美さん。あなたの考えている事は、理解しています」
「くぅっ!? ……間宮乃彩っ!」
この間隙をついて、5番手に甘んじてきたYRFの間宮乃彩が、S字カーブで綾子のインを付き抜き去ったのだ。
乃彩のいう、那美の考え。それは、那美が無理をしても3位をキープしている事を指している。そして、乃彩が綾子を強引にでも抜き去った理由にも。
「……ほう。協力してくれるという訳か」
更にそれは、乃彩の利害にも一致していたのだ。
レースは、今回限りで終わりという訳ではない。次戦も控えているし、来年以降も続いてゆく。
1つのレースでの順位は、ある意味で最終的な結果とはなりえない。グランプリレースは、1年を通じてポイントが最も多い者を競うものなのだ。
日本GP第9戦「ツインリンクもてぎ」では、那美も乃彩も美紗や凛子の後塵を拝すかも知れない。だが、それだけで終わっては、次戦においても彼女たちを調子付かせるだけでしかない。
マシンの性能では圧倒出来ていても、ポイント差では大きく引き離す事が出来なかった。この事実が、次戦では大きなプレッシャーとなる筈である。
ましてや、美紗は那美の結果次第では優勝出来る位置にいる。これを考えれば、彼女に重圧が掛からない訳はなく、それはそのままライディングにも影響する事が予想されるのだ。
つまり、優勝争いする者たちが上位を占める事で、レースは混戦模様と化し気の抜けない状態が精神を蝕むのだ。
レースに携わる者として、優勝に興味のない者はいない。何よりも更なる高みへと達する事が出来るのは無論だが、自身の評価にも直結し、大きな自信に繋がるのは言うまでもない。
仮にこのレースで、このまま美紗や凛子が1位2位になろうとも、那美や乃彩が3位4位となれば、優勝争いは混然として行方が定まらなくなる。そんな心理状態で、果たして普段通りのレースを行う事が出来るのだろうか。
特に打ち合わせた訳ではなくとも、那美や乃彩ほどのライダーならばそれを考える事が出来る。歴戦の強者だけが持ち得る、老獪な思考といったところだろう。
那美と乃彩は、それを狙ってより上位にてこのレースを終えようとしていたのだった。
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