それでも花は咲く

14/14
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
「あの、もう一杯いいですか?」  彼は空になったコーヒーカップを私に見せる。 「あっ、ただいま」  せかせかと席を立ち、私は彼からコーヒーカップを受け取った。 「ケーキ下げます……?」  いちごのホールケーキは、特に誰からも喜ばれることなく、テーブルの隅に追いやられている。 「はい。僕は桜でも見ておきます」  彼が頷いたのを見て、私はケーキの乗った大皿をひょいと持ち上げた。  厨房に行く直前に振り返ると、桜を眺める彼の小さな後ろ姿が見えた。 「このお店、実在しませんよ」  声を掛けたら、ワンテンポ遅れて、彼がゆっくりと振り返る。私は躊躇いながらも、小さく口を動かした。 「小さい頃、おしゃれカフェの店員さんになりたくて……ちょうどこんな感じの。でも、いまは普通に会社員だし、学生時代のバイトだって居酒屋でした。このお店は、私の夢の中にしか存在しない……叶えられてない私の未来のひとつです」  私が改めて店内を見渡すと、彼も真似して店内をぐるりと見渡していた。 「キラキラしてますね、未来」  しばらくして、彼が呟く。 「キラキラしてますかね? 未来」  そう呟きながら、踵を返す。  夢から醒める前に、彼に一杯のコーヒーを提供したい。  私は自然と早足になった。 * * *  夢から醒めれば、今日も変わらない朝がやってきて、色味のない日常がやってくるだろう。別ルートの未来に幻滅して、下を向いて歩く日もあるだろう。  それでも、歩かねば。  生きている人間に、季節は平等に巡ってくる。呼んでもないのに春がやってきて、望んでもないのに始まる。  それでも。 (了)
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!