前章

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冬毛の背には少なからぬ威厳があった。 太い尻尾がゆらりと振れる。 「…ご足労いただき、ありがとうございます」 おもむろに振り返る細目は、 彼がよく知るそれよりも若い印象だ。 薄曇りの下だった。 呼吸の度に白い吐息が淡く散る。 腰かけた石も冷たくて、 無意味と知りつつコートの襟を合わせてみる。 「あっ、お寒いですか? これはこれは……」 厳格な腰が途端に曲がり、 目配せ一つで紙コップが出る。 湯気をたてる甘酒を支え持つのは、 正面とは別の一匹。 「…ありがとう」 要求したようになってしまった。 気まずかった彼に構わず、 脇の一匹は嬉しそうに表情を輝かせ、 正面ではこんと軽く咳がされる。 「さて……お連れした理由は他でもありません。 先程、この社に重大な願が届いたのです」 霧散した威厳を取り戻そうと、 再び腰をぴんとさせて言葉は続く。 「内容は明かせませんが、 横宮さんにも関わりのあること。 まずはあなた様から詳しい事情をお聞きしたく」 冴えた冷気のどこかに葉が落ちる。 そんな音まで聞こえる一方、 遠からぬ場所からは途切れぬ賑わいが響く。 内容など、聞く必要もなく思われた。 その “願” を誰が掛けたのか、 それも状況から明らかだった。 だから、 横宮さんと呼ばれた青年は口元だけで微笑んで、 「教えない」 「──…そ、そこをなんとかぁっ」 何かとなじみの狐たちから、 慌てた声を引っぱり出す。 大人げないなと、こっそり自分を笑いながら。
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