第1話

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第1話

「……私にふさわしい特別な翅をあつらえるって?」  この日はじめてルイスの言葉に反応した少女は、細い背にかかる髪と同じ銀糸の睫毛縁取る菫色の目を興味深そうに眇めた。  まだ成人に届かなそうな少女とはいえ、目鼻立ちがいやに整っているせいか、微笑まれると鋭利な刃物を胸に突き立てられたような妙な迫力がある。  おべっかを並べ立てていた数十分もの間、椅子の肘置きに頬杖をつき、ひたすらそっぽを向かれていたからなおさらだ。  窓辺から差す午後の春光に照らし出された頬は、真珠粉をまぶしているかのように眩い。  そっけなく、それでも、じ、と定められた菫色の瞳はひとつの嘘も許さぬように見えた。  ルイスはごくりと生唾を飲みくだす。  動揺を悟られぬよう揉み手をさらに捏ねながら「もちろんですとも!」とおおげさに請け負ってみせた。 「ユーウェル様は特別なお方。かつて私たち人間と妖精の架け橋となった我らがティエリ王子と妖精コナイン女王の唯一の娘御にして愛の結晶。美しいあなた様の(かんばせ)に憂いの影を落とすお悩みが、すっきり晴れるお手伝いを、我が商会が担えるのなら、これほどの名誉はございません」  ただ、とルイスは情けなく茶眉を下げ言い淀む。  毒にも薬にもならないと仲間内から揶揄される平凡な容姿は、歳の若さも相まって、身なりをそれなりに整えていても相手の油断を招きやすいらしい。  髪色よりも一段明るい榛色の目をうろつかせると、じれたように少女——ユーウェルが椅子の肘置きを細い指で握りしめた。  ルイスには、そう見えた。 「構わない。話してみなさい」  望み通りの関心を引き出し、ルイスはしめたと思った。  情けない表情をいっそう曇らせ、彼は話を切り出す。 「材料がどれも希少な品のため、その、揃えるのに少々……」 「希少な品?」 「例えば午後の日差しを含ませた綿雲から紡いだ刺繍糸を使います。それから、北国のオーロラから切り出した紗布。彗星を砕いてつくったビーズ……我が商会もかろうじて少量押さえておりますが、どなたも欲しがる一級品ですから」 「——つまり先に融通してもらうには多くの支度金が必要ということか」 「仕上げも最高の職人が担います。制作も一年……いえ、一年半は必要かと」 「長いな……三月(みつき)後の新月の日でどうだ? どうせ期間などあってないようなものだろう。金に糸目はつけない。ニナ」  ユーウェルが呼びつけた侍女らしき亜麻色の髪の幼い少女が、ルイスの前に進み出て、慣れた仕草で螺鈿の小箱を開く。  現れた大粒の宝石の輝きに、ルイスは目がチカチカした。 「足らないか?」 「へ、あ、いえ、充分かと?」  ずしりと手に重い宝石箱を受け取りながら、ルイスは夢現(ゆめうつつ)で頷いた。  ユーウェルが満足そうに頬杖をつく。 「では、三月(みつき)後の新月の日が期限でいいかな? 納品時にそれの倍を支払おう」 「は、はい。今、契約書を」  この機会を逃す手はないと、ルイスは慌てて上着の内側を漁った。 「必要ない」  は、とルイスが面を上げた時、椅子から立ち上がったユーウェルが目の前に立っていた。  白いレースの肩掛けが、窓からの横風を受け、翅を広げるようにふわりと膨らむ。  (ただ)しく妖精姫だ——と錯覚しそうになった次の瞬間、ルイスの両目は彼女の冷えた掌で塞がれた。 「私に相応しい翅をあつらえるという契約、ゆめゆめ違えるなよ。その時は、お前の目から光を奪うから覚悟をし?」 「は、い?」  たおやかな指先が、目元から離れていき、ルイスの視界に昼下がりのうららかな窓辺の景色がかえってくる。  ルイスが呆けている間に、踵を返したユーウェルはルイスに背を向け部屋を出ていった。  ちら、と視線を寄こした幼い侍女が何も言わずに主人の後についていく。  一人ぽつねんと残されたルイスは、この屋敷の主人も誰も、もう姿を現さないと知ると、受け取った螺鈿の箱を手に、首を傾げ傾げ、湖畔に面する古い屋敷を後にした。  ルイスが異変を感じたのは、仲間内との久しぶりのカードで宝石ひとかけ分の金を一夜で溶かした翌朝のことだ。  普段からほとんど勝った記憶はないので負けるのは折り込み済で、ひとしきりあの場の雰囲気を味わい騒ぎ倒し、今回の仕事の成功を気持ちばかり祝った後は、次の相手を探すつもりだった。  寝ていた長椅子(カウチ)から降りようと足をついた瞬間、急に視界が暗くなり、経験したことのない眩暈がルイスを襲った。  はじめこそ運河をゆく運搬船の影響で、家代わりにしているルイスの小船がいつものように揺れたのかと思ったが、違和感がいつまでも晴れない。二日酔いとも違っているようだった。  それどころか吐き気を催す鈍痛まででてきて、屋内に入ると調子の悪い時には目が見えなくなってきた。  日に日に症状が悪化する中、ふらつき手を付いた先で、机上に転がしていた銀細工のブローチに指が触れたのは、ルイスにとって幸運だったろう。  それはいくつか前の仕事で記念品としていただいてきた花束を抱く妖精を模したブローチだった。  妖精、と思った寸の間、酷かった眩暈が嘘のように晴れ渡った。  瞬く間に再び曇りはじめた視界の中、ついブローチを握りしめると、銀の妖精の尖った翅先が掌をついた。  刹那、先ほどよりも症状が格段によくなった。 「妖精の、翅か?」  ルイスは、半信半疑で唱えた。  少女の手に塞がれた視界の下、彼女に言われた言葉を天啓のように思い出す。  透徹な菫色の瞳が、興味をなくしたように、呆けたルイスの顔から背けられたことも。  妖精の翅のことを考えている間だけ、鈍痛と眩暈がわずかに和らぐことに気づく。  気づいたその足で、ルイスは一月ほど引き篭もっていた小船から転がり出た。
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