最後は笑って、

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 カラオケではいつも高得点。みんなからも「うまいよね」とよく言われる。けれど、英語の歌なんてうたったことない! 紗良が断ろうとすると、違う友人が近づいて来る。 「紗良ちゃん、ソロでうたうの? すごーい、かっこいい!」  その声が大きすぎたせいで、クラス中の視線が紗良に向く。紗良は恥ずかしくて、わずかに首を傾げた。ここで断ったらクラスメイトの中の自分の評価が下がってしまうかもしれない。そんな不安に駆られてしまい、気づけば縦に頷いていた。 「ホント? ありがと~! よろしくね!」  友達の笑みを見ていると、これで正解だったんだと先ほどの不安はほんのわずかに解消されていく気がした。集まっていたクラスメイト達の視線もあちこちに散らばっていく。紗良は楽譜に目を通した。歌詞を眺めているとまた別の不安が芽生えてくるけれど、引き受けてしまったからにはもう先に進むしかない。  歌詞はその日のうちに友達が読み仮名を付けてくれた。紗良はその恩を返すようにコンクールの日まで欠かさず練習をした。けれど……その歌詞の意味を理解しようとしないまま。あっという間に合唱コンクールの本番の日がやって来て、体育館のステージの上でうたって、紗良のクラスは準優勝で終わった。  無事に本番が終わって、ようやっと肩の荷が下りた。何だか体が軽くなったような気がする。帰ろうとする紗良の足も軽やかで、夕日が差し込む廊下を進んでいく。しかし、そのふわふわと浮いていた足も廊下の曲がり角から現れた人物を見た瞬間、地面にピタッと吸い寄せられた。苦手な英語の泉先生。紗良はほんの少しだけ身を強張らせる。会釈をしてその場を足早に去ろうとしたとき、泉が口を開いた。 「谷口さん」  驚きのあまり、紗良の体が固くなったまま飛び跳ねていく。授業以外で泉から名前を呼ばれることなんて一度もない。紗良がこの事態に戸惑っていることに気づいていないのか、はたまた気にしていないのか泉は話を続ける。 「歌、とても良かったです。素敵でした」  廊下が茜色に染まっていく。鮮やかな夕日に照らされる泉の表情にはいつもの堅苦しさなんて一つもなくて、柔らかい笑みを浮かべている。その笑みが、紗良にはまるで輝いているように見えた。紗良はその光を閉じ込めように、無意識に瞬きを繰り返す。目蓋が動くのに合わせて、まるで秒針のような速さで心臓が脈打つ。どう返事をしようか迷っている内に、彼は話を続ける。 「あの映画が好きなもので。谷口さんが楽しそうにのびのびとうたっている姿がとても印象的でした」 「……映画?」  ようやっと言葉が出てきた。泉は「知らないんですか?」と目をきょとんと丸める。タイトルを教えてくれるけれど、紗良は聞いたこともないと首を横に振る。紗良の様子を見て、泉はがっかりするように眉を下げた。先ほどまであったあのキラキラとした笑みがなくなってしまう。それが消えて行ってしまうのがもったいなくて、紗良は思わず声をあげる。 「あの!」  その声は思いのほか大きくて、廊下に響いていく。泉は驚き、ほんの少しだけのけぞる。 「その映画、どうやったら見れますか?」 「……今、時間ありますか?」  紗良が頷くと、泉は歩き出す。紗良はその背中を追った。いつもは教室でしか見ることのない広い背中、白いワイシャツ。それが今、目の前にある。紗良は気づけば薄暗い語学準備室の中に立っていた。泉は机の中からDVDを取り出して「どうぞ」と紗良に渡す。 「これがその映画です。お貸ししますよ」 「え? いいんですか?」 「はい。卒業までに返してさえくれたらいいので」  手渡される映画のDVD。清廉の象徴である修道服に身を包んでいるのに、とても気の強そうな表情を見せる女優の姿が印象的なパッケージだった。 「大抵はこの語学準備室にいるので」
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