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「……厠か?」
何故か、同じベッドに横になっている金原が、くぐもった声で櫻子へ問ってきた。
同じ場所で寝ている、つまり、同衾している。という事実よりも、金原の眠りの邪魔をしてしまったかもしれないという事の方が、櫻子は、恐ろしく、体が縮こまった。
「……ランプを……、外だ。連れて……行く……お浜の、下駄を……」
途切れ途切れに呟く金原は、そのまま、また眠りに落ちたようで、小さな寝息を立てた。
問われても、別段もよおしてはなかった櫻子は、そのまま、金原が、眠ってくれて、ほっとする。
厠ぐらいは、一人で行ける。柳原の家では、縁側の突き当たりにひっそり備わっていたが、ここは、郊外だけに、まだ、外に備わっているのだろう。外、といっても、どこの家も、敷地内の裏にひっそり小屋が建っているもので、お勝手から、外へ出れば、場所はすぐにわかる。
意外と奥行きがあり、見た目よりも広い、金原の屋敷ではあるが、この部屋は、その屋敷の奥にある。単純にこの先へ進めば、お勝手も見つかるだろうし、外へも出られるはずだと、櫻子は思う。
知らぬ所ではあるが、場所はなんとか、わかるだろう。なによりも、金原に着いてこられるのは、抵抗があった。
置時計を見ると、針は折り重なっている。もう、夜中の十二時を迎え、日付がかわろうとしていた。
ついさっき、目覚めたばかりの櫻子は、いくら、時間が遅いとはいえ、目が冴えて、再び眠ることはできない。そして、横になったら、金原と共に、眠ることになる。
厠について来られる以上の抵抗が、というよりも、男と同衾ということが、櫻子にとっては、あり得ないことだった。
差し押さえられたモノ、である以上、そこまで、しなければならないのだろうか。確か、ここは、櫻子の部屋だと言っていた。が、続けて、夫婦の寝室とも金原は言った。
夫婦とは?
自分は、本当に、金原と夫婦になってしまうのか?
隣で、寝息を立てている、男の妻に、ならなければならないのだろうか?
そもそも結婚とは、このようなものでは、ないはずだ。
親の決めた縁談話に従って、他家へ嫁ぐものでは……ないのだろうか……。
でも、親が決めた?
自分の親は、一体……。
押さえ込んでいる思いが、また、流れ出しそうになり、櫻子は、ふるふると、首を振る。
ふうと、息を吸い込んで、とにかく、落ち着こうとした。その瞬間、何を迷った事を考えているのだとばかりに、妙案が閃く。
そう、厠へ行く振りをして、逃げ出せば良いではないか。
ここまでの道は、桑畑に囲まれた一本道だった。それを、たどって行けば、どこか、街中へたどり着けるはず。途中の民家で助けを求めても良いだろう。
無謀ではあるが、やってみる価値はあるかもしれない。
柳原の家で、裏方の買い物に出かけていた。それと同じことなのだと、櫻子は、自分に言い聞かせ、そっとベッドから抜け出そうとした……が。
何かに引っ張られる。
さっと、後ろを見てみると、自分の帯の後ろ側に、腰ひもが通されていた。
そして、その腰ひもの先は、寝巻き変りの襦袢を着る金原の、腰ひも、それも体の前側に、結びつけられている。
いつのまにか、櫻子は、金原と、腰ひもで繋がっていた。
櫻子側は、背中だけに、取り外すには、帯をほどかなければならない。と、なるとすぐ気がつかれる。この枷から逃れるためには、金原側のものをはずすしかないのだろうが、しかし、体の前側に結びつけられている。
どのみち、すぐに気がつかれてしまうのは、目に見えていた。
案の定。
「初めてのベッドだ。二人並んでは、お前も気兼して、距離を取るだろう。と、なると、ベッドから落ちる可能性大だからな。落ちないよう、あらかじめ結ばせてもらった」
しっかりした口調で、金原は、とってつけたような事を言っている。当然、起き上がり、櫻子をじっと見て。
「……飯を食え。握り飯だが……お浜が、お前のために作った」
「……はい」
静かに返事をしつつも、櫻子は、金原のやり方に、愕然としていた。
やはり、鬼と呼ばれるだけはある。
金原には、櫻子の考えなどお見通しだったのだろう。
寝室、と言って、同じベッドで眠るのも、櫻子の事を見張る為。
うっかり、寝入っても大丈夫なように、こうして、互いの体を繋ぎ合わせるという用意周到さ……。
どこまでも、鬼だ。
櫻子には、そうとしか、思えなかった。少しばかり、希望をもった、自分が、情けなくなった。
自分など、どうあがいても、ちっぽけな存在で、皆の手のひらで転がされるだけではないか。
「腹は、減っていないないのか?」
金原は、執拗に、枕元のテーブルに置かれてある、握り飯とやらを、食べるように勧めた。
仕方なく、皿にかけられている布巾をとると、櫻子は、絶句する。
皿に乗っているものは、確かに、握り飯だった。
だが、文字通りとでも言うべきか、子供が、飯を握り潰したかのような、ぐしゃりとした、いびつな物。
「……まあ、そうゆうことだ。この屋敷に料理のできる者はいない。とりあえず、お浜の気持ちを、くんでやってくれ。腹に入れば一緒、と、思えば、なんとか食える」
金原は、すまなさそうに桜子へ言った。
「で、では!わ、わたし、私が!お食事作ります……そのかわり……」
「そのかわり?」
「か、金原の社長さん!私を女中に雇ってください!」
櫻子は、とっさに言っていた。
そう言ってしまうほど、お浜の握り飯が酷かったというのもあるが、裏方にまわることで、金原から、離れられるかもしれないと、思ったからだ。
「……女中……」
金原は、考えこんでいたが、
「ならば、奥向きをお前にまかせる。そうだな、主人の妻とあるべき者は、裏方をまとめるのも、役目のうちだ」
そして、櫻子へ背を向け、再び横になるが、ぽつりと言った。
「……金原の……社長さん……は、やめろ」
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