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 少し熱を帯びた奥村の言葉に、弾かれるように僕は顔を上げた。そのとき。  ――カシャ、と音がした。 「だから、ちょっと時間をください」  黒目線の位置のスマホを下ろした奥村はその吸い込まれそうな両瞳で僕を見る。  それからスマホの画面を確認して、芯の長い鉛筆を持った。 「いいのか?」 「何が?」 「僕なんかに時間をくれて」  絵を一枚描くのは大変だ。  膨大な時間と労力を、彼女は僕のために使ってくれようとしている。嬉しいけれど申し訳ない気もした。  けれど彼女は、僕の描いた情けない絵を引き裂くようにはっきりと言う。 「好きになるのは自由だし、好きになりたいのも自由でしょ」  彼女は鉛筆を動かし始めた。僕は何も言わず、その横顔を眺める。  ちらりと彼女が僕を見た。スマホの画面じゃ小さかったのだろうか。僕を見てはキャンバスに向き直り、少し描き進めてはまた僕を見る。  何度も何度も繰り返される。僕はそれが何度目かを数えていない。  たぶんこの光景は何億回見ても見飽きることはないんだろうな。 「奥村」 「なに?」 「その絵が描き終わったら一緒にお花見行かないか」 「あら、デートのお誘い?」 「よくわかったな」 「ニュアンスでわかるよ」  春風のような微かな笑い声と黒鉛の擦れる音で小さな空間が満たされる。  僕はこのお気に入りの場所で、時折目が合う彼女をただ眺めていた。   (了)
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