2.一人じゃ何もできないくせに

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『おや?』  小夜が声を上擦らせるなんて珍しい。 「べ、別にお兄ちゃんが嫌いとか、そういう訳ではなくて……その……」  だんだん尻切れになっていく小夜の声。初めは笑顔で聞いていた桐生でしたが、やがてじれったそうに「その?」と先を促しました。  取り巻きたちも小夜に目線を集めています。 「えっと。そ、その……」  小夜は目が泳ぎ始めました。  身振り手振りが空回りして、口をパクパクさせている様子は、陸に打ち上げられた魚のようです。  普段あまり口にしないからか、言葉を探すあまりに息を吸いすぎてしまったのでしょう。  とにかく、落ち着くことが先決です。  どうするのかが最適なのかを考えたときに、そういえば相馬が背中をさすってあげていたことを思い出しました。  それにどれほどの効果があるのかは分かりませんが、試す価値はあるかもしれません。  伸ばした私の手のひらは、簡単に透けてしまうでしょう。それでも小夜はふぅ、と息を吐き出して顔を上げ、 「その……私、実はお兄ちゃんが、ちょっと、怖いんです」  そのまま細い糸のように言葉を吐き出してくれました。  とはいえ。 『怖、い?』  随分と想定外な感情が出てきましたね。 「お兄ちゃん、だけじゃなくて」  目を伏せた小夜は、重々しい雰囲気で今にも泣き出してしまいそうです。 「お、お父さんや、お母さんも……。私、どうすればいいのか」  私はそんな主の姿に、思わず手を差し出しそうになり――。 「何それ」  という誰かの呟きで手が止まりました。  桐生は口元を歪め、どこか楽しそうな顔をしています。  まるで、良いことを聞いた、とでも言わんばかりの……。 「そんな深刻そうな顔しちゃって、さーちゃん変なのー」  「……えっ」  小夜が間抜けな声を漏らしますが、取り巻きの子らは構わず口々に、 「親が怖いとか、うちもだよー」 「あ、妹は怖くないけどね」 「うちは怖いとかじゃなくてうざいかな」 「あ、分かるかも!」……  あははは、と愚痴大会を開いてしまいました。  あまりにみんなが喋るので、小夜も表情が固まってしまい、そのまま曖昧に笑います。  言葉を失った小夜に対して、桐生がずいっと顔を近づけてきました。 「いっつもビクビクしちゃってるのって、そういうことなの? もしかしてあたしも怖かったり?」 「そんなことはない……です」 「だよね!」  食い気味に桐生はそう言って、「さーちゃん、大げさだなぁ」と笑いました。  その時、私は身体のどこかでやり場のない熱がこもるのを感じます。 『何だか、ずいぶん軽い返しですね』  小夜の口から出てきた今の言葉は、そんな軽い話ではないのではないでしょうか。  本心をさらけ出せる。そう思って振り絞った言葉だったのではないでしょうか。 「……そう、ですね」  あはは、と小夜は笑っています。 「そういえば、うちの友達にも姉嫌いって子がいたんだけどさ」  と、今度は他人の話に移り替わっていったようでした。  もう誰も、小夜のことは見ていません。  小夜の愛想笑いに、友達であるはずの桐生やそのほかのヒト達は気付かないようです。  いや、もしかしたら気付いていて、あえて触れないようにしているだけなのかもしれません。  どちらにせよ、これが「お友達」という存在なのだと、今私は理解しました。 『もし私が小夜と話すことができれば、ちゃんと最後まで話を聞いてあげることが出来るのに』 『それは守護霊の仕事ではありませんヨ』 『その通りかもしれませんけど……』  とりあえず、ヒトにおける〝友達〟とは、あまり小夜にとって利益になる存在ではないようです。  友達を作ることが主の幸せに繋がるのではないかもしれません。  そもそも、小夜が求めているのが本当に友達なのかさえも怪しくなってきましたし。  そしてなによりも目下の課題は……。 『家族に対する恐怖の感情、ですか』  言われてみれば確かに、そうともとれる行動パターンは散見されていました。  あまり優先度の高くない可能性でしたが、小夜自身の口から出た言葉なので、納得せざるを得ません。  しばらくは小夜が家族に対して恐怖を抱いているという視点から、観察をしてみるしかありませんね。  そこまで考えた私は、どこか苦いものを覚えてしまいました。  窓の外からは、ぽつりぽつりとか細い雨音が聞こえてきます。  それもすぐにチャイムでかき消され、同時に教室へ先生が入ってきました。  居住まいを正す小夜。私はその背中を見守りながら、湿ったアスファルトの不快な臭いに耐えるしかありませんでした。
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