ある男

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ある男

「やい、ちょっと頼まれてくれねェか」  ひそめた声は低く、途中で少し掠れた。  ちらとそちらを見やれば、同心の男が人目を憚るように辺りを伺いながら、腕を組んで長屋の端にもたれかかっている。どうやらおれに一仕事頼みたいらしい。 「ここんとこ町を騒がせてやがる鼠の野郎をな、おめぇのその手でなんとかしてくれねェかと思ってよ」  ふん。このおれさまにタダ働きしろってか? 冗談じゃねェ。ふてぇ野郎だ。 「なァ、トラ公。聞いてんのかよ」  この寅吉さまはタダ働きなんざしねェ。出すもん出してから言いやがれってんだ。 「ねぇ?」  反物屋の箱入り娘のおたまがすり寄ってきて、おれさまの気を惹こうとするが、おれァ今八丁堀と話してんだ。ひと睨みくれてやると、おたまはふんと鼻を鳴らしてどっかへ行っちまった。 「おい、トラ公」  うっせぇ。出すもん出しやがれ。  おれが睨み返すと、八丁堀はチッと舌打ちしてしゃがみ込み、包みを差し出した。 「頼むよ、トラ公。俺ァどうも鼠の野郎が苦手でよ」  中身は香ばしく焼かれた秋刀魚。チッ。仕方ねぇ。これを出されちゃ断れねぇ。こいつらが莫迦なお陰でおれさまは秋刀魚を心ゆくまで堪能できる。 「頼んだぜ。トラ公。鼠の野郎をひっ捕らえてくれ」  しかたがねぇ。この秋刀魚の分きっちり働いてやるよ。秋刀魚をかじる前に、そそくさと宵闇に紛れていった八丁堀に返事する。 「にゃあ」
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