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よく出来た息子
「お父さん、お弁当は出来た?」
「出来たぞ! 見てみろよ、今日の出来栄えはな、」
「時間無いから。いい? 椅子を置いてある白いシートだよ。ちゃんと木陰を選んでおいたからね」
「分かってるって! 転ばずに走れよ」
「僕が転んでも慌てないでよ。去年みたいなのは困る」
祐斗の注意に言葉が詰まる。
「分かったの?」
「……分かった」
「じゃ、行ってきます! あ、ピアス忘れてるよ!」
「お、おぅ、ちゃんと付けるよ。行ってらっしゃい」
「去年のことなんかいつまでも言わなくたっていいじゃないか……」
一人残されてぶつぶつ言うセナ。いつも手厳しい息子にはあれこれと注意をされてしまう。今日は運動会だ、自分は落ち着いた行動をしなければならない。
祐斗は今小学2年生。捨て子だった祐斗を拾って、セナの生活は大きく変わった。だいたいヴァンパイアが人間の子どもを育てるなんて、前代未聞の出来事だ。仲間のヴァンパイアたちは懐疑的に見ているが、今のところセナの生活は順調と言える。
祐斗が懸念しているのは、去年の運動会の二の舞だ。
学校では入学してから道徳の時間があり、そこでは真っ先にヴァンパイア対策を教えられる。つまり、干からびたような真っ赤な目をした牙と長い爪を持つ青白いヴァンパイアが人間を襲って死ぬまで吸血する、という化け物物語。それを防ぐために、ヴァンパイアではないか、と思ったらヴァンパイア対策センターに通報しなければならないということ。
祐斗は大好きな父をいつも誇らしく思っている。背が高くてカッコ良くて、何でも知っているお父さん。とても器用で、日常生活のあらゆることをこなし、おもちゃさえも作り出す。そんな父が大好きだ。
その父が、去年の運動会でやらかした。
50メートル走で先頭を走っていた祐斗は、真後ろで転びそうになった同級生に体操服を掴まれた。派手に転がってしばらく立てなかった祐斗は、そのまま保健室に運ばれてしまった。慌ててその後を追ったセナは保健室に飛び込んで、保健の教師の見ている前で自分の指を噛み切り、血を祐斗の口に含ませてしまったのだ。みるみる治っていく祐斗の足首の腫れ……
「ヴァ、ヴァ、ひっ」
腰が抜けてしまった保健の教師は、床に腰を落とし動けなくなった。大声を出そうにも、喉に声が絡みついてしまったようだ。
セナが近づくとただ「ひっ」とだけ声を漏らして後ずさりして行く。
セナは彼女を抱き上げるとその耳元で囁いた。
「なにもなかった。あなたは転んだ少年の足の手当をしようとしただけだ。でも足はなんともなかった。いいね? なんともなかったんだ」
そのまま保健室のベッドに運び横たえる。起きた時には何も覚えていないだろう。
そして祐斗に向き直った。祐斗も催眠状態にしようと手を伸ばした。
「お父さん」
祐斗の声は割と冷静だった。
「僕にも嘘を言うの?」
セナの動きが止まる。
「お父さん、ヴァンパイアだった? じゃ、僕もそうなの?」
「ちが! お前は人間だ、ヴァンパイアじゃ」
「じゃ、お父さんは本当のお父さんじゃないんだね?」
理路整然としている祐斗は、セナの望んだ通りの少年に育ったのだが、今だけはそれが災いしているように感じた。
「祐斗、これにはたくさんの事情があって」
「だと思う。だから家に帰ってから話を聞きたいんだ。とにかく今の僕を違う僕にするのはやめて。お願い。通報なんてしないから」
そしてその夜、祐斗の育ってきた経緯を丁寧に話した。どんなに朝比奈家に世話になってきたかも。祐斗は冷静に聞いてくれた。
「分かった。僕の本当のお父さん、お母さんは分からなくって、育ててくれたのは祐司お父さんなんだね? ヴァンパイアのこと、いろいろ知りたいけど今度ゆっくり教えて。僕、今日は頭の中がいっぱいで疲れちゃったよ」
息子が眠った後、セナは悶々として一晩を過ごした。どうするべきか。祐斗の記憶を抜いた方がいいのだろうか。その答えを得ないまま、朝を迎えた。
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