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幻の故郷
# コトンコトン コトンコトン・・・
列車は、東へと走り続ける。あと数時間もすれば、尚正も目的地に到着し、独りその地に足を踏み入れる。
『着く頃は、日も暮れかかっとうやろうな。』
また何もすることもなく、車窓からの景色をじっと眺めている。鉄橋を渡り、一級河川の広大な水面が見えてきた。にもかかわらず、尚正は感心を持つことも無く、実に平然としていた。
‘ほら、たえちゃん、ふとか河やね。’
‘ほんと、湖のごたあね。’
娘達が居ればそんな会話が楽しく弾んでいるだろう。
# コトンコトン コトンコトン・・・
確証の無い旅、そして独り。
『仕方なか、自分で決めたことやもんな。着いたらとにかく宿ば探して、吉野さんの店ば訪ねてみるばい。』
そして時が坦々と流れて行くだけ。
# コトンコトン コトンコトン・・・
いつしか尚正は、目を閉じて眠りに着いてしまった。
~~~~~~~
# ○△×○○×○△・・・
何だろうか。ざわめきの様な音が聞こえて来る。乗客達が語らい合う声でもない。列車が風を切る音でもない。その音はもっと穏やかで、安らぎを感じる。はっきりとはしないが、遠い昔に聞いたことがある。
# ○△×○×○×○・・・
やっと尚正は目覚めると、周りに目を動かした。
『あれ、これは?』
辺りの様子が一変していることに驚いた。
『此処はいったい・・・』
尚正の居るところは、砂浜の小高い丘の上のようだ。
弓なりに拡がる海岸線。其処から臨む景色が見えている。夕刻前の太陽が西空の雲間に隠れ、その背後の部分が鈍く白く輝いている。
# ザザ~ ザザザ~・・・
『波の音やろか?』
そう、穏やかではあるが、幾重(いくえ)にも静かに打ち寄せる波音だった。風も全く無い。海鳥が飛び交う様子もない。陽の光りが水面に届いていないため、波のうねりも殆ど見えていない。美しい景観からは程遠い印象。趣も、味気も無い空間に、唯一波音だけが時の流れを示していた。それはまるで、今の尚正の心の中を映し出したような淋しさに覆われていた。
『今津の浜でもなか。誰も居らん・・・ばってん、初めて来た所じゃなかごたあ。』
遠くに目をやると、海岸線の終わる先に樹木が茂った岩山が見える。それが何と無く、遠い記憶の中にあったような気がしてならない。
『あっ・・』
一瞬のことであった。
雲の隙間からのぞいた陽の光りが差し込んで、その辺りが燈色に照らされると、驚いたのか木々に羽を休めていた鳥達が、一斉に空に向かって飛び立ってて行く。それは、モノクロの古い写真のような風景に、鮮やかな輪郭と色彩の一画をはめ込んだ。当然そこに目が注がれる。
# ザザ~ ザザザ~・・・
おぼろげであるが、人影が見えて来た。
『親子やろうか?』
小さな子供の影。その後を見守るように付いて行く2人の大人の影。そこに陽の光りが当たっているのにかかわらず、蜃気楼を見ているようにそれは虚ろである。それでもそこには親と子の情景がしっかりと感じとられた。
温かい家族。尚子やアルベルトと楽しく過ごした日々。もうずっと記憶の奥に押し込めていた。
そういえば、よく尚子が今津の浜辺に連れて来てくれた。そして、よく話してくれた。
‘マルベーリャへ行くのですよ。’
『母さん、心からそこに行きたいと願っとったな。』
‘いつかは皆で、そこに移り住み、楽しく暮らしていきましょう。’
目を輝かせながら楽しそうに語り掛ける面影が、今でも鮮明に記憶に残っている。
『そこは天国のような処なんやろうか?・・・父さんの故郷、遠い異国の土地に何があるとやろうか?、父さんの演奏や母さんの踊りと関係あるとやろうか?』
# ザザ~ ザザザ~・・・
波音の中でそう思いを巡らすうちに、日は大きく傾き、夕暮れを迎えようとしていた。
# ザザ~ ザザザ~・・・
風が出て来たようだ。少し寒気を感じるはずだが、不思議なくらい平気で居られる。それよりも、何故自分がこの場所に居合わせていることになったのか、疑問に思わないのか、尚正は考えていた。
『夢やろうな。なんでこげんかとば見るとやろうか。』
親子達は、少し打ち寄せるようになった波間で楽しそうに戯(たわむ)れている。そして夕刻を迎え、海岸の様子は空の雲が赤く染まり、辺りがうっすらと闇で覆われてくる。
# ザザ~ ザザザ~・・・
それまで気付かなかった海岸沿いの通りに、人々が生活する様子があった。
ひとつ、ふたつと家々の明かりが燈(とも)っていく。それは次第に拡がって行く、団欒(だんらん)の光景。ごく当たり前の日常の営み。それは、尚正にとっては、ずっと遠ざかっていた温もりのある生活。
すると、一軒の明かりの灯る民家の玄関の扉が開くと、実に味わい深い楽しげな光景がそこにあった。
“アハハハ、アハハハ オーレ、オーレ ”
♪ パパン パンパパン・・・
人々の笑い声。小気味良いパルマの響き。
♪ ♪♪ オーレ ♪♪♪ ビエン オーレ
賑やかなフラメンコの調べが、辺りいっぱいに拡がった。そして、明かりの窓越しに見える宴の様子。バイレする女性の影。
♪ ♪♪ オーレ アハハハ ♪♪♪ オーレ・・・
尚正は、その魅力ある情景に心深く惹き込まれた。
そして、その民家の入り口に先程の親子が向かう姿が見える。子供は、父親らしき者に背負われ、和やかな灯に溢れた家の中に姿を消して行った。
~~~~~~~
# コトンコトン コトンコトン・・・
やがて尚正は、眠りから覚めた。
『・・・母さん、・・・父さん。』
頬に涙の跡を残して。
~第七章に続く~
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