最初に

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最初に

大阪府に住む私と東北に住む母と毎月電話で話した。 「会いたいね いつ会えるかな? また電話するね おやすみ」 母と私の会話はいつもこの言葉で締めくくった。 7年間会っていない母。 私は働いていたが帰省する程の旅費の余裕が無い収入だった。 お金に余裕が出来、今年の年末は帰省する予定で母にも話していた。 その年のまさに年末、コロナウイルスが世界中で発症した。 日本では自分の都府県から他都府県に行くのも憚れた。 特に故郷の県は厳しかった。 地方では、東京や大阪から来た人からコロナウイルスが拡散されると煙たがられる現状になっていた。。 その後に誰もが知る、【非常事態宣言】が政府から出、他都府県に行く事は不可能になった。 日本中がそんな状態で、さらに1年間会うのを断念した。 帰郷したいのをずっと我慢していた。 そんな中、母が入院したと連絡があった。 しかも「急変した」と。 ほんの数日前電話で話した母は、なんら変わりない元気な声だったのに。 私は後悔している。 コロナ禍でも我慢などしないで帰省すれば良かったと。 母と電話で話した事を思い出す。 母と話したい。 だけど、もう、母とは話せない。 私の時間は母が倒れたあの日から止まったまま。 今はただ、母が急変した日から今までの事を書くだけ。
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