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(その19)8月、そして運命を待つ+おしらせ
(番が、ほしい)
その声に、巽はスマートフォンの画面から顔を上げた。ソファに座ったハム太くんが真正面を見つめたまま、こう繰り返す。
(彼女がほしいなあ)
「えええ!? ハム太くん、彼女がほしいの? 思春期?」
驚く巽に、ハム太くんは照れて目を伏せているように見える。巽はキッチンで洗い物をしている先生のほうに急いで駆けて行って、「先生!」と広い背中をつついた。
「ハム太くん、彼女がほしいんだって!」
先生は振り向いて、少し驚いた顔をしている。流していた水を止めると、
「彼女? ぬいぐるみか?」
「ハム太くん、ぬいぐるみなの?」
巽が問うと、ハム太くんは(うん)と答えた。
「ハム太くんは思春期が来たんだな」
微笑む南條。泡がついた両手を洗って、星の刺繍がついた青いタオルで手を拭く。ネイビーのエプロンをしたまま、巽といっしょにリビングダイニングのソファに戻り、ハム太くんの顔を覗きこんだ。
「じゃあハム太くん、明日の日曜日、彼女を探しにお出掛けしてみるか?」
「いいんですか?」
このセリフ、巽が声を出して答えているのだが、もちろんハム太くんの言葉を代弁しているのだ。もちろんだよ、と南條は微笑んで、「素敵な彼女に出会えるといいな」とハム太くんのまるっこい頭を撫でる。
ハム太くんは照れたようにうつむいて、黙って撫でられていた。
ということで、日曜日。南條と巽は十時過ぎに元町商店街にやってきた。ハム太くんは巽が提げているトートバッグの中でじっとしている。いつもよりも緊張した顔してるなあ、と巽は思っている。
二人と一匹はぬいぐるみを扱っているお店へやって来た。キャラクターグッズや雑貨、そしてぬいぐるみの取り扱いが中心のそのお店は、ピンクに塗られた壁とてんとう虫のディスプレイが愛らしい雰囲気を醸し出している。全国展開するチェーン店だ。
二人と一匹(三人)は歩いて階段をのぼり、三階のぬいぐるみコーナーへ。海外メーカーのぬいぐるみや、メイド・イン・ジャパンのぬいぐるみが大小さまざま並んでいた。値段も大きさも素材もいろいろだ。
巽はトートバッグの口からそっとハム太くんの顔を覗かせた。
「いい子、いる?」
(えっと……)
ハム太くんはずらりと整列するぬいぐるみたちに視線をすべらせているようだ。
(この子はおっきいし……)
と視線を向けたのは、子どもが乗れるくらい大きい虎のぬいぐるみ。迫力満点だ。巽が小声で口を挟む。
「そもそも虎なんて、ハムスターの天敵でしょ? ハムスターとか、ねずみのぬいぐるみコーナーを覗こうよ」
(うさぎも捨てがたいんだよねえ……)
ひそひそと言葉を交わしながら、ぬいぐるみコーナーを移動する巽とハム太くん。南條もあたりをぶらついて、手のひらサイズのワニのぬいぐるみを手に取り、頭を撫でている。他にぬいぐるみを見ている客たち(親子連れと男女カップル)が巽とハム太くんのほうをチラチラと見ていても、南條は気にするそぶりを見せない。
売り場の中央で目立つようにディスプレイされた、ぬいぐるみサイズの白いソファに腰かけるうさぎのぬいぐるみが、巽の目を惹いた。レースのつけ襟をつけ、頭にはバラの飾り。つぶらなおめめとピンクの鼻が愛らしい。
「ハム太くん、可愛い子、見つけたよ! この子はどう?」
うさぎのほうにそっとハム太くんの顔を近づける巽。ハム太くんの顔が曇った。
(なんだか、高飛車)
「そうかなあ……? 素直ないい子っぽく見えるけど……」
(巽はわかってないなあ)
そんなことを言われ、巽も「じゃあいいよ!」と拗ねてしまった。
そんなことをしている間に、南條先生がぬいぐるみを抱えて巽とハム太くんの元にやってきた。
「ハム太くん、巽くん、この子。かわいいと思わないか?」
黒猫のぬいぐるみだ。赤いボーダーのワンピースを着ており、バシバシの睫毛がおねえさんっぽい。笑った口にも赤いリップが刺繍で表現されている。ハム太くんは無言になった。ややあって、
(ぼくには年上すぎる……)
そんなことを言うのだった。
結局、成果なし。二人と一匹(三人)はお店の近くにあるチェーンのカフェで、巽はオレンジジュース、先生はコーヒーを飲み、反省会だ。
「あの店はかなり品揃えがいいとネットに書いてあった。……あ、君の仲間のことを『品揃え』なんて言ってごめんな、ハム太くん。とにかく、あそこは関西圏でも仲間がいっぱい集まっているお店だそうだ。そこで出会えないとなると、次はどこがいいかなあ」
南條が考えこむと、「ターゲットを絞るのがいいと思う」と巽。
「ハム太くんの好みを教えてよ。優しそうな子? 可愛い子? 賢そうな子? それともなにかのアニメのキャラクターとか? それによって、いそうなところを探してみるから」
ハム太くんは無言だ。巽の膝の上に座り、まっすぐ前を見ている。ややあって、
(番って、彼女って、なかなか出会えないんだね。だから巽と先生はすごいなあ)
巽は一人赤くなった。ハム太くんを抱え、「な、なに言ってるの。別にすごくないよ」と笑う。ハム太くんは手をプラプラさせ、こくりとうなずいたように見えた。
(うん。二人はすごいよ。運命ってやつ?)
「お、大げさだよ、ハム太くん」
(ぼくも出会いたいな、運命のひと。いつか出会えるって信じて、ぼく、男を磨くね、巽!)
気合が入るハム太くんに、巽は照れつつも「うん、がんばれ!」と頭を撫でる。一人、先生だけが巽とハム太くんの会話についていけていない。
「どうしたんだ? ハム太くんは、なんて?」
それでも真摯に尋ねてくれるので、巽は涙が出そうなほどうれしくなる。先生の膝にハム太くんを座らせた。
「素敵な彼女に出会えるように、男を磨くってハム太くんが!」
「おお、ハム太くん、気概に満ちてるな。かっこいいぞ」
にこにこ笑う先生に、この人がおれの運命の人でよかったなあと、噛みしめる巽だ。
その日カフェで、三人はハム太くんのますますの幸せを願い、乾杯した。
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