A面

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A面

 一年目の結婚記念日は、できればあのお店に行きたかった。イタリアンレストランを借り切って、家族や友人に祝って貰った幸せな時間の余韻は今だってまだ続いている。でも脅威のウィルスはまだまだ猛威を奮っているし、外に出るとマスクをしていない人はいない。夫の会社でも外食は控えるようにってお達しが出たのは、先週、焼肉を食べにいったグループの全員に陽性反応が出てしまったから。会社も敏感になっている。  でもラッキーだったのは、あのお店がデリバリーを始めたこと。あの日のことを思い出しながら、あの日の味を二人きりで楽しむために朝からしっかり準備している。大好きなあの店の名前は「ベルエポック」。  思えば私はとてもラッキーな人生を送ってきている。なかでも最大のラッキーは夫に出逢えたこと。そして私に恋人を略奪されたあの女性があっさり死んでしまったこと。子宮外妊娠が原因の大量出血死って背筋冷えるけど、お腹にいた彼の子どもも彼女も死んじゃったなら、もう私たちを邪魔する者は誰もいない。  だいたい妊娠してたなら、もっと積極的に彼を取り戻すことを考えればよかったんじゃないって思うよ。恋人に捨てられたからって座敷牢に閉じこもるみたいな生活するんじゃなくて戦わなきゃね。恋愛なんて人生の究極の戦いのひとつなんだから。欲しいものを手に入れるためなら努力しなきゃ。ちゃんと作戦をたてて罠を張って獲物をゲットするの。だから挑んでくればよかったのに。そしたら受けてたったけどね、そして負けない。  インターフォンが鳴った。モニターに映った夫は手に持った薔薇の花束をカメラに近づける。モニターいっぱいに赤い薔薇。私はドアを開けて彼を迎える。今日、『ベルエポック』に行けないことが自分の同僚のせいだって謝ってくれてた。だからこんな豪華な花束なんだね。陽性になった彼の同僚くんに感謝するよ。  花瓶に薔薇を生けていたら、またインターフォン。きっとデリバリー。 「おっ、シーフドピザ頼んでくれたんだ」  大きな保冷バックを開けて好物を見つけて喜んでいる彼の手に、シャンパンのハーフボトル。 「それもプレゼント?」 「俺たちが去年の今日、結婚パーティしたこと覚えてたみたいだね。店からのプレゼントだって」  彼が私に見せたボトルはベルエポック。アネモネの美しいボトルに入ったシャンパン。店の名と同じ、なんて素敵なプレゼント。 「ねぇ、これからもずっと、何年後の今日もこのシャンパンで乾杯しようね」  ずっと変わらないでね、私だけを愛していてね、約束だから。策略を巡らせて、彼女から奪ったあなたを私は絶対に放さないから。約束してね。  もしかしたらあなたは、私以外の、例えば死んだ彼女とも約束をしていたかもしれない。そしてその約束を破った結果、私とこうしているのかもしれない。でも彼女はもういないから、気にしなくていいのよ。もう死んじゃったんだから。そうね、きっと彼女は運が悪い人だったのよ。いろんな意味で。  私たちの最初の記念日に乾杯をしましょう。ラッキーなプレゼントのベルエポックで。
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