はなのうた

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「二郎殿。あなたはいつも、お心のままどんどん先へと進んでしまわれます。私はあなたに引いていかれて、それが嬉しく、頼もしく思われることもありました。けれど今、気づいたのは……」 「何だ。まさか、私を想ってはいなかった?」 「ちょっと静かにしてください」  あらぬ誤解に向かう男を制し、私は続けた。 「……私は、欲深い女でした。このままあなたについて行くだけでは、どうしても満足できません。私からも、求めさせて欲しいのです」 「何を求める。あなたが求めるものなら差し上げたいが」 「では歌を」私は言った。 「私にも歌をください。お作りになれるものならば」  口調が挑むようになってしまった。苦手と知りながら求めるのは、たいそう意地の悪いことに違いない。だが、どうしても試さずにはいられなかった。 「歌? 歌とは……」  案の定、二郎殿は難しげな顔つきに逆戻りした。低く唸り、うつむく男を黙って見守る。  あなたは私に、(みやこ)も家も捨ててついてこいと言う。ならば私にもください。たとえこの先すべてを失うことになったとしても、後悔しないだけの何かが欲しいのです。  房内は静まりかえった。あたりの気配は張りつめて、きりきり鳴りだしそうなほどだ。思わずこぶしを握りしめたとき、二郎殿が頭を上げた。そのお顔から苦しみが消えているのを見て、私は落胆した。大納言様への歌と同じく「あきらめた!」と言い出すものと思ったのだ。  だが二郎殿はさっと立ち上がったかと思うと、私の横をずんずん通り過ぎて(やり)()に手をかけた。 「二郎殿?」 「さらば、(いとま)つかまつる」  こちらの問いかけを払うように言い放つ。それ以上留める間もなく、二郎殿は足早に出て行ってしまった。  しばらく呆けているうち、あたりはすっかり明るくなっていた。春の陽は暖かい。桜はじきに散るだろう。  二郎殿は結局、そのまま帰ってしまわれたのだった。歌を作るのがそれほどまでに嫌だったとは。それとも、口やかましい女に嫌気がさしたのでしょうか。  私はもう、京の春の思い出になってしまうのかもしれない……。暗い予感に身震いしていると、背後の衝立より乳母が姿を現した。外出の身支度をしている。 「まあ萩、どこへ行くのですか」 「少々お待ちなされてくださいませ。これから陰陽師の元に参りまして、あの田舎武士を呪い殺してやりますので」 「それはやめて!」  見れば、乳母の目は怒りにらんらんと輝き、今にも角と牙が生え()でんばかりの形相である。そのまま自分で二郎殿を呪い殺しに行きそうなようすの乳母を、私は必死に引き止めた。
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