《215》

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 雨はもう完全に止んだようだが、霧は以前として濃かった。馬上から井伊直政は辺りを見渡した。直轄部隊赤備えと左側に展開する松平忠吉の部隊の姿しか見えない状況だった。  空に薄陽が射している。随分前に、夜はもう明けている。関ヶ原の地に入ってからずっと直政は神経を尖らせていた。味方の布陣はすべて完了したのか。敵はどこまで来ている。濃霧の中では全体の状況はよくわからなかった。ただ武氣が蠢いているのだけは感じられた。家康に味方する者の数は7万5千だと聞いている。対する西軍は全軍結集すればその数は8万に登るという。両軍合わせて15万を少し越える。これほど大規模な合戦がいまだかつてあっただろうか。静かではあるが、関ヶ原の地は並々ならぬ緊張感に覆われていた。  左側、布陣が終わった松平忠吉隊から一騎が近づいてきた。 「布陣が完了しましたぞ、義父上」 傍に来たのは松平忠吉だった。この21歳の若者は家康の四男であり直政の娘婿なのだ。此度が初陣となる。いつ敵とぶつかるかわからない状況、大将が一々持ち場を離れるのは褒められた行為ではないが、直政は忠吉を叱責しなかった。初陣で多少舞い上がっている部分もあるのだろう。 「硬くなり過ぎるなよ、忠吉」 「それは大丈夫です、義父上。私の気力は充実しております」  直政は忠吉から眼を逸らし、赤備えを見た。白い霧の中、いつも以上に赤が映えている。 「無闇に動くなよ」 直政は忠吉に釘を刺した。 「残念ながら若殿の部隊が間に合わなかったのだ。兵力はややこちらが劣る。こういう時は慎重を期さねばならぬ」 「ねえ、義父上。私はついていると思いませんか」 忠吉が言って笑う。ただそれは口許だけで眼は笑わず、ぎらぎらとした光りを放っていた。
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