春隣

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「いらっしゃいませ」  もう夕日が西へ傾き、ビルの谷間に消える間際。店じまいの片付けをする最中、来客を知らせる鈴の音に振り返る。  それは昼間の彼だった。 「また会いましたね」  そう告げた彼の手には、赤い薔薇が2本。 「えぇ……そうですね……あの、その花は……?」  私はたじろいで彼を見つめると、彼はそっとその花束を私に差し出す。妖艶な彼は私と目が合うなり、低く優しい声ではっきりと言った。 「やっぱり薔薇ではなく、この花を下さい」 「えっ……」  指し示されたその先には、私しかいない。  彼が歩みを進める。踏み出す一歩が近付くたび、いい知れぬ濃くて深い花の匂いに攫われる。 「……はい」  頬から全身に回った熱に侵された私は、うわ言の様に呟く。彼が私の真ん前に立った時、そのまま顔を近付けた瞬間に、私の記憶は霧の様に溶けた。
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