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不気味な声に振り返ると、暗がりの中にそれはいた。
長身である朱里よりもさらに高い位置に浮かび上がる真っ白なマスク。うねった黒髪は風もないのに広がり、意思を持っているかのようにこちらに伸びてくる。
顔は陰になっていて見えない。
「あらま、立ち会って貰っちゃいました」
空気を読まない朱里の言葉も気にせずに、怪物はじわじわと近付いてくる。
生臭い臭いを伴いながら、段々と全貌がはっきりしてくる。
私は朱里にしがみ付いた。
「写真撮るなら写ってあげてもいいよ」
間近で見る怪物は、思いの外、人間寄りで嫌悪感が湧かなかった。
一週間くらい入浴も歯磨きもしていないだけの美人さん、と言えなくもない。
「遠慮しておきます……」
「ちょっと先輩!」
そんな不用意に返事をしちゃあ……。朱里の顔はそう言っていたが、吐き出してしまった言葉は取り返せない。
これってヘタすりゃ天国から地獄コース? なんてシチュエーションでプロポーズしてくんだよ。このクソ後輩。
全身の血の気が引いたことを実感しながら、私は怪物に視線を向けた。
「そう。わかった。まぁ、いいわ。本当に写れるか自信なかったし」
「あ、ありがとう……ございます」
「でも」
腰を屈めた怪物の顔が眼前に迫る。鼻が触れそうなくらいの距離で、怪物は私を睨み上げた。
臭気に胃酸が込み上げる。
「別れたら承知しないわよ。この私を証人にしたんだから。別れたら――」
「はい! もちろん! 先輩のことは私が幸せにします!」
朱里は身を翻し、私と怪物の間に立ちはだかった。
もしかしたら、軽く怪物と接触したかもしれない。それでも少しも怯まない。本当に神経が太い。この後輩は。
「そう」
怪物はゆらりと身を起こした。片側だけ眉を顰め、迷惑そうな顔をしながら霧のように消えていく。
マスクで口元は隠れていたが、私にはそいつが微笑んでいるように思えた。嘲笑じゃない。冷笑でもない。苦笑いだ。
わかる。
やっぱ朱里ってうるさくて、でも、ちょっとだけかっこよくてかわいいよね。そんでもって相手を自分のペースに引き込むのが巧い。
私は心の中でこっそりと怪物に惚気た。
「先輩」
「ん?」
「さっきの怪物さん、なんだかちょっと先輩に似てましたね」
「はぁ?」
「ほら、そういうところ。素直じゃなくてかわいい」
怪物に呆れられたアンタの方が怪物だよ。そう思いながら、私は朱里の手を握った。
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