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「お前って、たまごだよな」
「……いきなりなんだよ」
昼休み。俺は参考書を片手に、タマゴサンドを口の中に放り込んでいた。
「いや、俺はお前と割と一緒に長い間いるじゃんか」
「まあ、そうだな」
目の前にいるこいつとは小学一年生の時からの仲だ。そして、高校三年生である今まで、ずっと同じクラスだった。といっても、別段、親友とかいう関係ではない。たまに話す、ただのクラスメートだ。
まあ、正しく言うのなら、嫌いなクラスメートだ。
「その間、ずっとお前、たまごみたいだなあって思ってた。あまり外側と関係を持たないで一人でいることが多いし、優等生じゃん」
「それは物価の優等生の言葉からか?」
「まあ、そういうことだな」
たまごは物価の優等生と言われる。長い間、価格変動があまり大きくなかったことから、そのように言われるそうだ。
こいつは、俺をそれになぞらえて、小学生の頃からずっと優等生である俺を評したのだろう。そして、一人でいることが多いことも踏まえて。
もっ揶揄でないことは、長年の関係から察しが付く。
「だとしたら、お前もたまごになるんじゃないのか?」
「何で?」
「ずっと、俺と変わらないレベルで勉強ができている優等生だからだ」
こいつは俺と同じレベルで勉強ができる。東大生を毎年排出している、この進学校でも、テストでは常に一位二位を争う俺と、同じレベルだ。
こういってはなんだが、俺は勉強が得意だ。むしろ、それしか特技がないといってもいいぐらいだ。最も、天才などではなく、必死に勉強をして、このレベルを維持している。
それに反し、こいつは天才タイプだ。授業中でさえ居眠りをして、勉強している素振りがない。それにも関わらず。学年で一位二位を俺と争っている。それが気に食わないから、こいつのことが嫌いだった。
「俺は優等生なんかじゃないよ。見ての通り、ほら、昼休みはのんびり過ごしてるでしょ。授業中だって、たっぷり睡眠時間に充ててる」
「先生も見て見ぬフリだしな」
「ありがいことだよね」
先生たちが、あまりこいつに強く言っているところを見たことがない。居眠りを許されているのも、学年で高順位を保っているからだろう。
「なあ、聞いてみたいことがあったんだけど、聞いていいか?」
「なんだ?」
本当は話す気などないのだが、邪見に扱うと逆に絡んで来られて、更に余計な時間を取って来ることがある。それを避けるために適当に対応をすることにした。
だが、俺はその質問にタマゴサンドを食べる手を思わず止めてしまった。
「何のために勉強してるんだ?」
こいつが適当に聞いているわけでないことは、目を見てわかった。こいつの真剣な目を見たのは、もしかしたら、これが初めてかもしれない。
だから、真面目に答えてやることにした。
「母さんを楽にさせるためだ。うちが母子家庭なのは知っているな」
「あ、うん、まあ、知ってる」
「俺は勉強を重ねて、高校に入った時と同じように、特待生として、大学へも授業料や入学金など金銭の負担がかからない待遇での入学を目指す。それがまず第一段階」
「第二段階があるのか」
「ああ、もちろん。大学でも勉強に励み、好成績を取る。そして、それを武器として、高収入の就職先を目指す。もちろんそれ以外にも挑戦はするが、俺の武器は勉強だ。これを活かすのは当然だ」
「なるほどね。きちんとした目標があるってわけだ。働くっていう選択肢はないの?」
「もちろんそれも考えた。だが、それでは短期的には良くても、長期的に適切な判断とはいえない。学歴で選ばれる社会じゃなくなってきてはいるが、やはり学歴の有無で稼げる額は大幅に変わるのは事実だ。俺の目標は母さんを楽にさせるためだ。俺の稼いだ金が十分にあれば、早期でリタイヤすることもできるだろうが、十分じゃなければ、働くことに変わりはなくなってしまう」
気が付けば、眉をひそめてこちらを見ていた。
「何か、言いたいことでも?」
「前言撤回する」
「ん?」
俺は脈絡のない言葉に小首を傾げた。
「俺はお前をたまごと言った。でも、それは違ったから撤回する」
「撤回するのか」
「ああ、撤回する。お前はひよこだ」
馬鹿にしている……わけではなさそうだ。真面目な顔で言っている。
「どういう意味だ?」
「お前はたまごか孵化化して、自分の考えを持って、歩き出している。まだ大人じゃない分、成鳥、とまでは言えないから、ひよこってこと」
そこまで言うと、ふと、寂し気な表情を浮かべた。
「対して、俺はまだたまごだ」
「どういうことだ?」
「さっき俺が授業中に寝ているのを、先生たちは見逃してくれているって話をしただろ? あれ、俺が頼んでるんだ」
「……意味がわからない」
「俺はさ、家にいる間、ほとんど勉強しかしてないんだ」
「……嘘だろ?」
信じ難い話だ。今までそんな話は聞いたことがない。噂ですら耳にしたことがない。
「本当だ。親が俺に厳命しれくるんだよ。勉強をしろ、勉強をしろって。ごはんを食べてる間も勉強させられてる。とにかく勉強させられてる。寝る間もないほどにね」
悲し気に笑う。
「だから、せめて親の目が届かない学校では、自由にさせてもらってるんだ。先生に事情を説明して、お願いしてさ」
「……知らなかった」
「同級生に話すような話でもないからな。俺は勉強をさせられてる。でも、お前は違う。少なくとも、俺の目にはそう見えていた。だから、ずっと聞いてみたかった。お前が勉強をする意味を」
「なら、早く聞けばよかっただろう。機会ならいくらでもあっただろうに」
「怖かったんだ」
「どういう意味だ」
「もしも、お前が俺と同じように、勉強をさせられていて、目標がなかったとしたら、俺は多分、もう勉強ができなくなる。勉強を死に物狂いでやってるのは、俺とお前ぐらいだ。その二人が勉強に意味を見いだせていなかったら、勉強をする意味を完全に見失う」
「要するに、お前が勉強することを保てていたのは、俺がいたからってことか」
「そういうこと。俺は勉強に意味を見いだせていないけど、お前はそれを見いだせていると考えることで、俺の勉強にも意味があると思い込むことができたから」
なるほど、と一応の納得をした。だが、俺はこいつのことをまだ好きになれそうにない。
たしかに、こいつはたまごだ。
「……なあ、たまごってどうやって孵るか知ってるか?」
「ひよこが、内側から殻を叩いて、出てくる。これで合ってるか?」
「合ってる。つまりは、そういうことだ」
「……全然意味がわからない」
俺は手に持っていた、最後のタマゴサンドを口の中に放り込む。
「ひよこは、自分の力で生まれるってことだ。外から、助けてもらうんじゃない。自力で外に出るんだ!」
参考書を閉じ、机にたたきつける。その音に、クラス全体の視線が集まるのがわかった。でも、関係ない!
「お前は、お前の言う通りたまごだ! だって、自分で外に出ようという努力をしていないからな。勉強をやらされているのはわかった。だが、そこに意味を見出すのは、自分自身の問題だろ!」
それに、と俺は言葉を続ける。
「勉強をやらされている状況を変えたいんなら、変えればいいだろうが!」
俺は眼前にまで顔を寄せる。本当は胸倉の一つでもつかんでやりたかった。でも、それはしない。興奮していると言っても、それぐらいの分別はある。
俺がこいつを嫌いな最も最上級の理由はこれだ。
何もしない。その割に文句を言う。
文句を言うのはいい。でも、何もしないという状況が俺にとっては理解しがたいことだった。
嫌なら抗えばいい。文句があるなら改善を目指せばいい。成功するかどうかは二の次三の次だ。何かを変えるためには、何かをしなければならない。小さなことでもいいから、何かに挑戦しなければならない。
それなのに、こいつは文句だけは立派に口にする。それでは意味がない。何も変わらない。
ただ文句を言って満足するのなら、それはそれでいい。でも、それでも満足できずにくすぶっているのなら、現状を打破したいと願っているのなら、何かをしないでどうする!
昨日と同じ今日が嫌なら、昨日と違う何かをすればいいだけの話だ! それだけの話だ!
何もしないで、幸運を得ようなんて、甘い話はない。
「でも……」
「でも、何だよ」
「それを親は許さない」
「だから、何だよ? それがどうしたんだよ?」
「お前は、どうしたいんだよ!」
その言葉にはっとした表情を見せた。
「お前の人生は、お前だけが決定権を持つんだ。親が何を言おうが、関係ない。嫌だったら、家から出て行ったっていい。それをしろってわけじゃない。そういう選択肢を思い浮かべたことがあるのかって話だ!」
俺は机を思い切り叩きつける。
「敷かれたレールを進むのは楽だ。でも、それじゃあ、苦しい。敷かれたレールを進むという選択を自分が決めたのなら、それは自分の選択だ。でも、ただただ、何の選択もせずに敷かれたレールを進むな! お前の人生だぞ。親でも、友達でも、それを誰かに委ねるな! お前を幸せにできるのは、お前自身だけだ!」
多分、俺がこいつを嫌いな理由はここに集約されているのだろう。
敷かれたレールを進むのが羨ましいのではない。ただ漫然と、何も考えず、何も感じず生きている。そんなこいつを見ているのが苛立たしい。
自分の人生なのに、他人に自分の進む道を委ねている。嫌悪は抱いていても、それを内に秘めるだけ。それを表現しないで察して欲しいなんていうのは、ただの甘えでしかない。
嫌悪でも歓喜でも表現して、初めて相手に伝わる。伝わらないのなら、もっと表現すればいいだけの話だ。
ひよこはそれをする。お腹が空いたなら、ごはんを食べたいとピーピーとわめきたてる。
ただ、それで理解してもらえるかは、また別の話だ。ただ、そのための努力はすべきだし、表現して初めて、理解してもらえないということを知ることができる。それがわかれば、また別の手を考えることができる。
内に秘めるな。大切な自分の想いは表現してこそ、初めて光を浴びるのだから。
そこまで言って、俺は一つ呼吸を置いて、席に座った。
「お前は、どうしたい?」
「俺は……」
眼前のこいつは、下唇を噛み締めていた。強く噛み過ぎて、てらてらとした赤い血が滲んでいた。
「俺は、美術がやりたい」
やっと内なる思いが外に出てきた。
「そうか」
俺は内心で納得していた。
こいつは美術の時間に絵筆を握っている時だけ、表情がまるで違った。心の底から楽しそうだった。普段、張り付けたような表情をしているこいつとは、歴然とした差だった。
「俺は親に一度だけ、そういった話をしたことがある。多分、小学五年生とかの頃だ。でも、それは一蹴された」
「なんで一蹴されたんだ?」
「食っていけないと。美術で生きていけるのは、ごく一部だと」
俺はにやりと笑った。
「本当にそうか?」
「実際、そうだと思うけど」
「いや、違うな。お前の両親は、生活ができない、と言っているんだろう。でも、それはお前次第だろう。美術が評価され、著名になれるか、という点については時勢によるものがあるだろうから、わからない。でも、食っていくことは決して不可能じゃない」
「……どういうことだ」
「選択肢は無数にあるってことだ。街中で描いた絵を売るだけならたしかに厳しいだろう。でも、自宅で美術教室を開いたり、オンラインサロンのようなものを開いてもいい。受注して絵を描いたっていい。やり方、考え方次第だ。そして、それをするのは、お前次第だ。お前次第で、美術で食っていくことは不可能じゃない」
俺はずるい話をしている自覚はある。こいつの両親の言う言葉には、今のレベルの生活を維持できない、という意味が含まれている。ただ、それが言葉にされていない。
こいつはそれを無意識に理解してしまっている。だから、親の言うことが正しいという結論に至っている。
だから、それは無視する。表現されていない以上、言葉通りの意味を解決する手法があれば、問題はない。
事実、こいつの目の色が変わった。目に光が灯り、炎が揺らめき立っている。
この先、どうするのかはこいつ次第だ。こいつの努力次第だ。
ただ、一つ言えるのは、たまごの殻にヒビが入ったということだ。
「お前もたまごじゃなくなる日も、遠くないかもな」
俺はそれだけ言うと、参考書をまた開いた。
~FIN~
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