スタートライン

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 芸歴一年目となる初めての興行は、俺達の地元にある小さな温泉旅館だった。  緊張の面持ちで宴会場であるお座敷へと向かう。  舞台袖からちらりと客席を覗けば、コロナ禍のご時世ということもあって、観客は皆マスクを着けていた。  だが顔半分が隠れていようと、見渡す限り知り合いばかりの顔ぶれだということは確実にわかる。 「うおーい、早く始めろよ~!」 「おう、時男! つまんねえ漫才しやがったらタダじゃおかねえからなあ!」 「ばっちりカメラにも収めてやっから安心しろ~」  開演の時間となり、野次まがいのエールが飛ぶ。  どうしよう、脂汗が止まらない。正直知らない人間相手の方がよっぽどマシだと思った。 「ほら、あれ見ろよ。俺の父ちゃん、待ちくたびれて怪物みたいな大鼾かいて寝てやんの」  のほほんとした時男の言葉に俺はひくつく。  親子揃って緊張感というものがないんだな…… 「この興業が成功したら、ギャラで焼肉食おうぜ」 「焼肉なんて贅沢出来る程貰えないだろ。せめてピザくらいにしとけ」 「ええ、打ち上げといえば焼肉だろ。焼肉食いたい」  まだ何も始まっていないのに、時男の頭の中には焼肉のことしかないらしい。  その時、ある一人の人物を捉えた時男の目がギラリと光った。 「おい、圭太! 高田だ、高田がいる……!」 「え、高田だって?」  高田は小、中学校で何度か俺達と同じクラスにもなったことのある同級生だ。  生真面目な性格で、中学では常に学年トップの秀才と謳われていた。  俺達と同じクラスだったのだから、当然ながら俺達の漫才も何度となく観てきている。  だが、クラスで唯一彼にだけは、俺達の漫才が受けたことはなかったのだ。 「丁度いい、リベンジだ! 今日こそ俺はアイツを笑わせて見せる!」  ぐっと拳を握り、ただでさえ暑苦しい時男の変な闘志に火が付いた。 「どーもー! 同級生コンビのトキンタと申します~」  いそいそと舞台袖から飛び出した俺達に、「よっ! 待ってました!」と観客(ほぼ知り合い)が拍手で迎え入れてくれる。  時男の変な闘志のおかげだろうか。  先程までの緊張はどこへやら、今日の俺は滑り出しも上々で調子が良かった。  その証拠に、宴会場も笑いの坩堝と化している。  何より、あの高田が笑っている。完全にツボって大笑いしているのだ。  小学生の頃、あまりの無表情に鉄仮面と呼ばれていたあの高田が、だ。  時男もそれに気づいていたようで、してやったりといった顔をしていた。  こうして俺達の初ライブは大成功という形で幕を下ろした。
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