第1章 『懐メロふせん』と私のバイト

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第1章 『懐メロふせん』と私のバイト

 学校帰り、友達と一緒に寄ったショッピングモール。  ハーゲンダッツのアイスを食べた後、お気に入りの雑貨屋をブラブラと歩く。  壁際の棚に並んでいたそれに、伊万里の目は惹きつけられた。  先へと進む友達のこのなど気にする余裕もなく、思わず足が止まる。  これは、付箋紙?  変わったデザインをしている。  『懐メロふせん』  なんだろう。不思議と興味が湧く。  伊万里は『懐メロふせん』を手に取り、まじまじと眺める。  その付箋紙の1枚目は『翼の折れたエンジェル』と題されていた。  くすんだ桜色をしたその付箋紙は、  翼が折れたような天使のデザインが施されていた。  切ない色使い。  笑っているのに泣きそうな天使の顔。  これを組み合わせただけの付箋紙なのに、何故だか伊万里の心を虜にした。 ――誰がこの聖画を描いたのだろう・・・    そのとき、伊万里はそう思った。  ◆◆◆◆◆ 「まずは、自己紹介をお願いします」 「はい。神林(かんばやし) 伊万里(いまり)といいます。下総中山にあります、千葉県立小栗原高校の2年生です。よろしくお願いします」  ジリジリとした夏の暑さも、そろそろ落ち着きを見せ始めた9月の末。  雑居ビルの一室で、高校の制服に身を包んだショートカットの女の子が、スーツ姿の若い男性と向き合う。  伊万里は、学校帰りにバイトの面接を受けていた。  東京メトロ東西線の浦安駅から徒歩5分のところにある、ビルの2階に『矢ヶ崎デザイン事務所』はあった。  『矢ヶ崎デザイン事務所』とはパッケージデザインを主に取り扱う事務所で、お菓子や文具、化粧品など生活小物のパッケージデザインや、宣伝用パンフレットの製作などを主たる業務としている小さなデザイン事務所だ。 「本日の面接を担当させていただく、朝霧といいます。よろしくお願いします」  面接官であるスーツ姿の若い青年が、頭を下げる。  伊万里は、初めてバイトの面接をするので、緊張してドキドキしていた。  しかもその面接官は、年もそれほど離れていない好青年。  なかなかのイケメンで、これはラッキーだ。  『朝霧』と名乗るその面接官は、今どきの若者らしくマッシュショートの髪型をしているが、センター分けでビジネスマンとしての清潔感も演出している。  ストライプの入ったネイビーのスーツも決まっていて、イケメンに磨きがかかる。 「ではまず、志望動機をお聞かせ願いますか?」 「あ、はい。私、こちらのデザイン事務所で作られたものがとても好きで、できれば、働くならそういう『私の好きなところ』で働きたいと思い、志望させていただきました」  悪い印象を与えないよう、注意しなければ。  背筋をピンと伸ばして伊万里は質問に答える。 「ウチで作られた『もの』ですか?」 「はい」 「それは例えば、どんなものですか?」 「はい。一番好きなのは『懐メロふせん』です」 「『懐メロふせん』ね・・・」  面接官の朝霧が、ペンで頭をカリカリとかき、考えを巡らせる。 「『懐メロふせん』は、確かにウチで手掛けたものです。ですが、それはどこで知ったんですか?」 「御社のホームページで見ました」 「でも・・・どうでしょう。確か『懐メロふせん』で検索しても、弊社のホームページはヒットしなかったと思いますが?」 「あ、そうなんです!出なかったです。だから、一生懸命に色々と、あれやこれや調べました」 「『あれやこれや』?」 「あ、はい。御社に辿りつくまで、結構、苦労しました」  伊万里が、愛想よく微笑みかける。 「どうしてそこまで、探したんですか?」 「はい。『懐メロふせん』の、特に『翼の折れたエンジェル』に惹かれたからです。あの天使が、切なくて、とても良かったから・・・だから、知りたいと思い探しました」 「ふむ・・・」  伊万里の話を聞いた面接官は、手元の履歴書に何かをメモしていた。 ――よしっ!  伊万里は『御社の製品が好きだ』というアピールが功を奏したと思い、今の自分の回答に手ごたえを感じていた。  うまくすれば、憧れのデザイン事務所で仕事を、手伝えるかもしれない。  その一歩をうまく踏み出せたことに、伊万里は胸の高鳴りを覚えていた。  ◆◆◆◆◆  伊万里が『懐メロふせん』から、『矢ヶ崎デザイン事務所』の存在に辿りつくまで、実際にいろいろ紆余曲折があった。  話は、今から1ヶ月前までさかのぼる。  ショッピングモールの雑貨屋で『懐メロふせん』をGETした伊万里は、翌日から学校で使いまくり、親友の鈴音に『懐メロふせん』を自慢していた。  授業のポイントを強調するとき、ノートに貼って使った。  友達に軽いメッセージを伝えたいときにも、お気に入りのカラーペンと組み合わせて使った。  伊万里は、カワイイ文具を集めて使うことが趣味の、いわゆる『文具女子』なのだ。  『懐メロふせん』とは、1970~1990年代の名曲をなぞらえたレトロ感漂う付箋紙で、曲名に合わせて雰囲気のあるデザインが魅力の逸品である。  『懐メロ』の代表として『翼の折れたエンジェル』『部屋とYシャツと私』『大阪で生まれた女』の3曲がセットになって収録されている。  伊万里は中でも『翼の折れたエンジェル』のデザインが気に入って使っていたのだが、親友の鈴音は『大阪で生まれた女』の方が、味があって良いと言う。  その頃から伊万里は、『翼の折れたエンジェル』の聖画を描いた作家さんが誰なのか、気になってネットで検索をしていた。  しかし出てくるのは『懐メロふせん』の販売元、サン・ジャパン社の情報ばかりで、作者が誰なのか一向に分からずじまいだった。  そんな感じで伊万里は、もどかしい日々を過ごしていた。  だが『信じる者は救われる』とは、このことだろう。  『翼の折れたエンジェルの作者が知りたい』と願って止まない伊万里に、思わぬ偶然が舞い込んだ。  伊万里の母親が、健康診断のときに眼科受診をするよう、担当医に言われたのだ。
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