桜色の鱗

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桜色の鱗

***** 何だろう、これ。 バスルームの鏡に貼り付いた1枚のハート型をした薄くて半透明なもの。 破れてしまわぬようにゆっくりと剥がしとり、指先でつまんでライトにかざすとピンクを基調にきらきらと虹色に輝いている。 2センチほどの大きさの縦長のハートでほんのり桜色。 プラスチックというよりはかなり大きな魚の鱗みたい。 スパンコールでもないし、 ・・・どう見ても鱗? 鱗??? くんくんと香りを嗅いでみると、生臭くない。臭くないどころかいい香りがする。 やっぱり魚の鱗じゃないみたいだけど、これは何だろう。 よくわからないけれどキラキラしているし高価な何か、なのかもしれない。 何だろう。 何だか幸せの香りのよう。幸せに匂いがあるとしたらきっとこんな感じだろう。 お日さまみたいに気持ちが温かくなってきて、胸の奥というかおへその裏のあたりがそわそわとする。 不思議なものを手にしてしまいぼーっとしていると、「秋月さーん」と私を呼ぶ声がドアの外から聞こえて我に返った。 しまった。 仕事中にボーっとしていた。 私は慌てて手の中にあった鱗のようなものを丁寧にハンカチに包んでポケットにしまい「シェリルさん、ここでーす」と返事をした。 かちりと音がしてバスルームのドアが開き私の上司であるシェリルさんが顔をのぞかせた。 シェリルさんは28歳、栗色の髪に栗色の瞳の独身美女。 私より背が高く、私よりスタイルがよく、私より仕事が出来る。 全て私より出来のいい憧れの女性だ。 「お客様がもうお帰りになってしまったの。だからちょっと予定より早いんだけど、定例ミーティング始めたいの、いいかしら」 「え?もうですか?」 普通であれば入浴後の感想や他に希望するバスルームの相談などでお茶やスポーツドリンクを飲みながらゆっくり過ごされる方が多い。 それなのに早々に帰ってしまったと言うことは余程ご不満だったのだろうか。 「そうなのよ、シンプルシリーズはあまりお気に召してもらえなかったみたい。でも明日はミスト付きのバスルームを試していただけることになったから。ふふ。14時からのご予約」 明日もまた会えるとシェリルさんはほくほく顔で予約票をぴらぴらとさせた。 今日のお客様はイケメンVIPだったのだ。 「そうですか。もうお帰りになってしまったんですね。じゃあお客様のお忘れ物を拾ったんで、急いで連絡してきます」 「お忘れ物?お客様がバスルームから出られたあと、お客様係が忘れ物がないか浴室と脱衣所の確認をしたはずだけど、おかしいわね」 「小さいから見逃してしまったのかもしれません」 これです、とハンカチの中の鱗のようなものをシェリルさんに見せた。 「何かしら、これ」と彼女も首をかしげる。 「そうなんです、何でしょう。浴室のミラーに張り付いていたんですが、いい香りがするし、もしかして高級なものとか大切なものかもしれないので」 「いい香りがするの?」 嗅がせてとシェリルさんが私のハンカチに顔を寄せくんくんと鼻を動かした。 「何も匂わないけど?」 そんなはずはない。確かにさっきはフローラルのような陽だまりのような何か表現しにくいけれどいい香りがしたのだ。 もう一度鼻を近づけると、やはり心に染み入るようないい香りがする。 「私には秋月さんの使ってる洗濯洗剤の香りしかしないけど」 とまたシェリルさんは首をかしげてしまった。 それってこれを包んでいる私のハンカチの匂いですねと苦笑した。
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