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 僕らは一番近い海沿いの都市を目指して、日が暮れるまで歩き続けた。  長い間抱えていたもやもやを言葉にして吐き出してしまったことと、もしかしたらと思っていたとんでもない事実を確認してしまったことで、なんとはなしに僕は無口になっていた。だからといって、特に何かが僕の中で変わるわけでもなかったけれども。  ただ、自分の心を見つめ直して新しく気づいたこともある。  彼に僕を食らい続けることを負い目に思わないでほしいと願うのは、そもそも僕自身が彼といることが自分の蒔いた種を刈り取るようなものに過ぎないと考えていたからで、そのことを負い目に思っていたのはむしろ僕の方だった。  彼は食事を摂らねばならず、そのことで僕を傷つけなければならないことについて、負い目とかなんとかじゃなくて、ただ辛いのだと言った。けれども僕を手放す気になれないのはやっぱり一緒にいたいからで、約束を守り通したいこととはまた別の問題なのだとも言われた。  愛する人を傷つけたくない気持ちと手放したくない気持ちは矛盾するけれども、そのどちらもが本心だ。そう真顔で言われて、僕は鼻白んだ。  思慮深く気高く慈愛に満ちていたらしい尼さんと僕とはどう考えても別人格だ。少なくとも風貌については瓜二つだったとバードは主張するけれども、それだって本当のところはどうだったか怪しいものだ。まあ、白人の女は僕ら東洋人から見たらまるで女に見えなかったりもするから、そういうこともあるのかもしれない。  彼女の感情をシンクロさせて不覚にも涙をこぼしてしまったのは僕の方だから、バードが混乱しても仕方がない部分もあるかもしれない。  けれども、一時の激情のようなものが潮が引くように静まると、気の置けない友人に対するいつもの敬愛の情が戻ってきた。  僕が彼に対して抱いているのはやはり恋情ではなく友情だ。そう正直に告げたら、バードは特に気落ちした様子もなく、仕方がない、なんて言って笑った。そのくせ僕を抱き寄せていた腕の力を少しも緩めようとはしなかったのだけれども。  エストーラと彼女の亡き恋人は、あの少女がいずれあちら側に行ったとき、なにも約束はなくともきっと再会できるのだろう。すべての生命の源、人が行き着く混沌と豊饒の海で。  人間である以上は僕も、いつかはきっと皆が還りつく根源へと流れ着く。いかに長く、永劫とも思える時を彼の力によって生かされていようとも。  けれども禍神であり人間以上の存在であるバードがどのように終末を迎えるのかは、僕には見当もつかない。  僕の記憶の中で眠りつづける彼を愛したかの女性は、いつどこで彼とめぐり合うことができるのだろう。  僕が生きているかぎり、僕という器に閉じ込められて、彼女は直接彼と対峙できないのではないか。ふとそういうことを考えて、それはバードにとってとても理不尽なことではないかと思い至る。  けれどもそれを口にしても仕方がないことも僕は知っている。僕がこの世を去ることによって彼が彼女と再び巡り会えるとしても、そのために僕の命を終わらせることをバードは選ばないだろう。そしてそれはやはりどう転んでも理不尽なのではないかと、繰り返し僕は思った。  理不尽で一方的な彼女との約束を、彼は守り続ける。彼女に繋がるものとして、僕はそれを見届けていきたいと願う。 《終》
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