裏と表

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「ご相談というのは、村雨市の人口流出のことで」  そういいながら、持っていた分厚い資料から一枚の紙を俺と間宮の間に置いた。人口の推移と書かれている。折れ線グラフは、三年前に急激な増加を示してそのまま維持。そこから、少しだけ下がり、今年に入ってまたガクンと急降下していた。まさにジェットコースターだ。 「ご存じの通り、三年移住し続けた方は、移住支度金の返金は無効になります。それ故に、今年に入り、流出が顕著に」  三年というのは、越してきた際に受け取った助成金を返金しなくてもよくなる期限だ。 「その先も住んでいれば助成金はもらえるのに、どうしてだろうな」  間宮がそういうと、伏見も大きく頷いていた。 「本当ですよね。そのまま継続して十年間住み続けたら、再度助成金を受け取れるという手厚い制度があるというのに。出ていくなんて、信じられません」  その言動からして、伏見も根っからの純粋培養者なのだろう。こんな甘い話に乗らない手はないといいたいようだが、俺には出ていく理由はよくわかる。  流入してきたのは、結局すでに毒されている人間だ。一度都会色に染まってしまえば、透明に戻ることはない。都会の便利さ、派手さ、中毒性。いくらこの緑で浄化させたくても、そう簡単にできるものじゃないし、自然と共存するのは、想像以上に過酷だ。夜になれば、街頭もなくどっぷり闇に浸かるし、野鳥や猪やら獣の気配もする。コンビニなんて勿論皆無で、店と言えば立派な農協くらい。無駄なものは一切売っていない。目先の移住支度金に釣られて移住してきた人間が、そんな現実をいちいち調べてくるはずもなく、物珍しさでこの自然を求めやってきている。刺激が無さすぎる日常に嫌気がさして当然だろう。 「で、この話と広報どう話が繋がるんです?」  グラフを分析しつつ、本筋に触れる。すると、伏見は細身の体を落ち着きなさそうにもぞもぞし始めていた。 「呼び込んだ人がまた出ていってしまった。そして、三年前のどっと人が入ってきた後、継続して人が入ってこなかったことは、広報の問題で、ちゃんと仕事をしていなからだ……という話になりまして……」 「はい?」  二人して、変な声が出た。いくら申し訳なさそうにしている伏見を見ても、怒りがこみ上げる。どうして、その話でやり玉にあげられねばならないのだ。いつも温和な間宮もむっとした顔をしていた。  俺たちはあくまでも、広報担当。出て行ってしまうのも、その後入ってこないのも俺たちの範疇を越えているといいたい。間宮も同じ意見をだったようで、俺よりも先に口を開いていた。 「そういったことは、うちではなく政策企画課なんじゃないですか?」  間宮の言うとおりだ。 広報はその企画を外へと発信する仕事で、企画は担当外。政策企画課こそ、この町を活性化させるための政策やイベントを立案する部署でそちらに掛け合うのが筋だろう。なのに、伏見は食い下がる。 「はい……本来はそうで、企画課に二名在籍していますが、みんな他市にて行われている祭りへ応援に出ていて、不在なんです……」  「でしたら、一日二日すれば戻ってくるでしょうし、待つのが得策では? 広報の僕らが勝手に企画して動いてしまえば、彼らが戻ってきたときに面子が立たないでしょうし、逆に不味いでしょう」  俺も反論するが、伏見は額に浮き出た冷や汗をハンカチで拭いながら尚も続けていた。 「その後は更に他市への販促応援へ行ってしまうので、あと二ヶ月は戻ってきません。だからといって、突然呼び戻してしまっては、他市との摩擦が起きかねない……」  頭の中では、俺たちに押し付けることしか選択肢はないようだ。必死さを表すように、伏見は早口になっていた。 「失礼で無茶なことを言っていることは、重々承知しております。  うちの課長の井口が、霧島市長から今すぐにどうにかしろ、いい案を即刻出せと圧力駆けられたようなのです。うちの中でも、対応は企画課の方だろうという話にはなったのですが……。いないのならば、広報にやらせろと、課長の井口が怒鳴り散らしておりまして……。もし、広報が首を縦に振らせられなければ、僕を強制出向させると……。そうなってしまったら、僕は村雨市を離れなければならなくなってしまいます。でも、うちには要介護の父がいまして、僕しか面倒見られる者がいないのです。だからどうしても」  異動したくない。伏見は震え、涙が滲んで、身体を消えてしまいそうなくらい、細くして項垂れていた。だが、俺は強く思う。そんな自己都合で、こちらに責任転嫁されるなんて、冗談じゃない。感情論でみんな動いてくれるなんて思ったら大間違いだ。世の中、そんなに甘くはない。言い返そうとしたら、間宮が厳しい顔つきをして、呟いた。 「……メデューサの野郎」  聞きなれない呟きに思わず、間宮を見るとカチンと目が合った。 「あぁ、八神は知らないのか。市民課の井口課長。別名メデューサ。パワハラ粘着質体質で、市長の顔色ばかり窺って出世しか頭にない。自分の責任は部下に押し付ける。冷血女だ」  間宮が憎々しいとばかりにそういうと、市役所には、到底不相応なピンヒールの音が響いてきた。  バタンと勢いよく総務課のドアが開く。太陽のにおい以上に嫌いな人工物の香。鼻が曲がりそうなほど香水がキツく漂ってくる。伏見の件で、ただでさえ不愉快だったのに、鼻の奥まで不快だ。視界にもいちいち入れたくなかったが、良く通る声で嫌でも無理やり俺たちの意識を向けさせていた。 「あら、暇な広報にお客なんて、珍しい」  世界中誰もが知っている紺色の高級スーツワンピースにジャケットを羽織り、長い黒髪が目障りなほど輝き靡かせる。全身から自己主張している大嫌いな流入者第一号・月島瑞穂が立っていた。彼女は霧島市長の秘書を担当しているが、それは名ばかりでまともに仕事をしているところは見たことがない。  今もこの通り、始業時間を優に過ぎての登場だ。普通の企業ならば、即刻首にさせられてもおかしくない勤務態度だ。なのに、この田舎市役所の面々といえば……。 「瑞穂さん、おはようございます。今日も素敵なジャケットだねぇ」  月島瑞穂のご機嫌を取るための、言葉を投げかける。    大物政治家・月島源蔵の娘である月島瑞穂。そんな彼女がなぜ、こんな田舎にいるのか。月島大臣と霧島市長は、同じ大学出身で親友同士。霧島が市長になった際、すでに国政で活躍していた月島に移住計画を相談した。大々的に自分の手柄を世間に広めるため、市を話題にするためにはどうしたらいいのか。その相談に月島大臣はこう答えた。 「自分の娘を村雨市へ第一号の流入者にしてやるよ」と。そして、瑞穂はこの田舎町へやってきた。  恵まれた家庭。不自由のない暮らし。寝ていたって、勝手に持ち上げられ金もモノも勝手に集まってくる。その中に埋もれた人間は腐って肥料にもなることなく、毒ガスを放つ有害ゴミになっていく。周りに多大なる悪影響を及ぼす。 「あ、月島さん。おはようございます。市民課の伏見と申します」 「どうも。広報が何か問題でも起こしたのかしら? 私相談に乗ってあげるわよ」  高飛車で、いちいちマウントをとってくるのは今に始まったことじゃない。  瑞穂の方が俺より一つ年下なのに初対面から、ずっとこの態度だ。  何もかも満たされ、ちやほやされて育った人間は、お山の上に立っていないと気が済まない。そして、下界の者たちはすべてひれ伏すと思っている。それ故に、場の雰囲気を読むという感覚も薄く、人を気遣うという感覚も皆無。苦労したことも、傷ついたこともないからそういう感覚が育たない。  正してやれと思うのに、人のいい純粋培養者たちはそれさえも受け入れようとしてしまう。その代表的な間宮が眉を八の字にして、包み隠すことなく正直な表情を瑞穂へ向けていた。 「聞いてよ、瑞穂ちゃん」  そういって、持ち掛けてきた問題を明け透けにぶちまけていた。 「ふーん。確かにちょっとお門違いってところはあるかもねぇ」  瑞穂が間宮側につこうとすると、わかりやすく伏見は動揺していた。その顔を見て、弄ぶように瑞穂の赤い唇が弧を描いていた。 「じゃあ、私が間を取り持ってあげてもいいわよ。井口課長と霧島市長は、よく知っているし」 「本当かい?」  間宮は、どんなことでも真正面からなんでも受け止める。こんなに解りやすく悪だくみしてると書いてある笑顔を見せているにもかかわらず、だ。こういう害ある人間は、一度でも借りを作ってしまえば、いつまでも執拗に恩に着せてくるだけだ。  俺は、伏見が持ってきた資料をトントンと机の上でそろえて鞄に入れ、出かける準備始めた。それを瑞穂は、元より少し吊り上がった瞳をくいっと上げて、怪訝な顔を向けてくる。それを、椅子に掛けていた背広でひらりと受け流す。 「これは、広報に回ってきた仕事。いつも忙しい月島さんの力をいちいち借りなくても大丈夫だよ」  人当たりの良い笑顔を見せながら、答える。瑞穂の弧を描いていた赤い唇が、思い通りにならなかったことによる不満で、への字に変わっていた。   「間宮、行くぞ」 「え? どこへ?」 「振られた仕事はきっちりこなす。まずは、外回りだ」  俺がそういうと、間宮は少し戸惑いながらも、すぐに支度を始めていた。仕事を引き受けてくれたと、ほっとしたような顔で見ている伏見と、自分の意見を突っぱねた俺への怒りの形相をした瑞穂を視界の外に追いやって、俺たちは外へ出た。  
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