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そう言う颯太の目は真剣であり、吸い込まれるようで直ぐに逸らすことが出来なかった。Domであるというカミングアウトを受けて、頭が真っ白になった。まるで時が止まったかのように静かに感じて周りの音が遮断される感覚に陥った。
「何を言って……」
「別に隠すつもりはないし隠そうとも思ってなかったからアンタに話した」
「だからってわざわざ僕に言う必要ないと思うけど」
確かにSubとは違ってDomであることを隠さない人は割といる。Subは明かしたとしてもDomである人物から突如コマンドを発せられ体が反応してしまっては困る。体が言うことを聞かなくなり無理やり触れられては困る。
事実、そういった事件が起きてしまっていることは連日ニュース番組で告げられている。
「だからアンタも」
「仮に僕にダイナミクスがあるとしても、それをキミに言う必要がないだろう」
「俺が知りたいから」
「そんな自分勝手な都合で……」
気まずそうな顔をした店主が注文品をテーブルの上に静かに置いた。その際、お互いに目線を逸らした。コーヒーの香りを感じて一度心を落ち着けた。
(そうだ、同じDomだと言えばいいじゃないか。彼は噂が気になって聞いていているんだから、それでこの場を誤魔化して今後もDomの振りをしてやり過ごせばいいだけだ)
「……そこまでキミが僕に興味を持つ理由は分からないけれど、仕方ないから話すよ」
そう言うと颯太はメロンソーダフロートに伸ばしかけていた手を止めての悠陽の顔を見た。
「噂通り、キミと同じDomだよ」
「……同じ」
「そう。同じだよ、満足したかな?」
この嘘がバレることは他のどの嘘がバレるよりも都合が悪いため、目を逸らすついでにコーヒーを飲んだ。熱いコーヒーを飲み込んで、深く呼吸をしてバクバクとなる心臓を落ち着けようとする。
自然に話せたから大丈夫だ、彼はきっと信じているに違いない。悠陽はそのことを確かめたいものの、颯太の顔を見るのが怖かった。特に目を合わせるとまた見透かされる気がしたからだ。
「今までどう欲求を満たしてきたんだ?」
「え? あぁ……処方された薬を飲んでるんだよ。ダイナミクス用の抑制剤」
「それなら俺も飲んでる」
「……じゃあ日座くんにパートナーはいないの?」
「いない」
ダイナミクスにおける相手とは、一般的に恋愛においてのパートナーよりも深く重要な関係性を有している。お互いの気持ちを確認した後に同意の上で関係を結んで欲を満たし合う。そうすることで欲求不満時に現れる心身の不調が改善されるというのだ。
“支配して幸福を得るDom”
“支配されて幸福を得るSub”
その欲を抑える為にも相手はいた方がいいとされている。いない人は悠陽たちのように抑制剤を服用するかそういう欲を満たせる店に行ったりしているらしい。関係を結ばなくても満たし合っている人たちもいるみたいだが。
「そうなんだ。大学に入ったばかりで色んな人と出会うだろうから素敵な人が見つかるといいね」
「アンタは?」
「え?」
「戸村さんはいないの?」
そんなことは考えたことも無かった。というよりも考える余裕が無かった。母はあんな感じであり、悠陽自身も自分のダイナミクスを否定して生きてきた。病院から薬とともに渡される紙にも“パートナーの重要性”がつらつらと記されている。いい加減見飽きて目を通すことなく捨ててしまっていたが、このままでは自身の心も体もしんどくなる一方であることは薄々感じていた。
「いないよ」
「……へぇ、だいぶモテてるのに」
「僕はダイナミクスの話は人としないようにしているからね。人によってはしたくないと思うだろうから……」
「抑制剤、強いのを使ってるんじゃないのか?」
「……まぁ、それは。キミもなんじゃないの? 仮に大学になるまでにパートナーが出来たことがなくて欲を満たす術も無かったのだとしたら、薬を飲むことで抑えてきたんだよね? いい加減どの薬も効かなくなってきてその度に強いものに変えてもらってさ。本当は二十歳前後で関係を結ぶのがいいらしいからね」
「確かに、病院からは早く相手を見つけろと散々言われている」
「あはは、同じだよ。そんなこと言われたって……ねぇ。僕は欲を満たすこともダイナミクスを持つ者としては大切だと思うけれど、それよりも普通に恋愛感情があるかどうかと言う方が大切だと思ってる。だからそんな簡単に言われたって無理な話だよね」
「……うん」
颯太は頷くとメロンソーダフロートを不器用に零しつつ食べ始めた。グラスの縁までなみなみにつがれたメロンソーダに絶妙なバランスで乗っているバニラアイス。零さない方が無理な話だろう。
悠陽はそんなことを眺めて考えつつ自分のさっき話した内容を思い返してみる。
心から好きになった相手と結ばれたいと思うことは悪いことじゃないはず。みんなそうして恋愛をしているんのだから。本能と理性のためだけに相手を選ぶだなんてしたくない。
初めてダイナミクスを持っている人とこうして話しているため、つい自分の思っていることを言いすぎてしまったように思っていた。
悠陽は俺らしくないけれど、本当はこうして誰かに話して心のモヤを発散させたかったのかもしれないと思った。
(けれど……日座くんは“本物の”Domだ。彼がもし仮に欲を抑えることが出来なくなったり、薬がきれて欲求不満になりGlareを発した際に俺がその場にいたら? それに俺も薬を飲み忘れたりしてそのGlareにあてられたら?)
そう考え出した途端に目の前の彼の存在が怖くなった。彼はしようと思えば悠陽の事を組み敷くことが出来てしまうだろう。言葉ひとつで悠陽の体は本能に抗えずに従順に動いてしまうだろう。
悠陽はそんな自分を想像したくはなかった。
「アンタを怒らせたように俺は人と関わるのが下手だから、こういう話をしたのは初めて」
「そうなんだね。確かにオープンにしている人はどちらの性構わずいるにはいるけれど、なかなか言い難いことではあるよね」
「まぁ、それもある。俺は自分が欲求不満になった時に出る支配欲が恐ろしくて仕方ない。だから薬を飲んでるし向き合おうとしてこなかった」
(……意外だ)
悠陽は“Domである者はその支配欲に本能のままに溺れているもの”だと思っていたのだ。
支配する側故に色々事件を起こしている人がいて、そういったニュースを見聞きするものだから偏見を抱いてしまったのだろう。
(そう思うと日座くんも安易にDomであることを口にして、恐れられたりするのは避けたいのかもしれない)
「人を自分の意思とは関係なしに傷つけるのは嫌だから、俺は人付き合いが苦手なまま大学生になってしまって」
「そうだったんだね。お互い生きづらい思いをしているね」
「……アンタがいて良かった。話せてよかった、ありがとう。ほぼ無理やり聞いたも同然だけど」
「本当だよ、昨日のコーヒーに免じて許してあげる」
悠陽はつい顔がほころぶ。一瞬だが気が抜けてしまった。いつものように笑顔にならなきゃ、言葉を選ばなきゃという気持ち自体は抜けないが。
「そういえばアンタは予定があったんじゃ?」
「気にしないでいいよ。今日必ずやらなきゃいけないっていうものでもないから」
「そうなんだ。アンタは本当に優しいんだな。俺が話したいって我儘を言ったのに」
「話したかったのは僕もだから」
気がつくとさっきまでの眩しいほどに鮮やかなエメラルドグリーンは氷のみになっていた。喫茶店で飲み物を一気に飲んでしまうタイプか、なんとなく日座くんらしいな、と思いつつ悠陽もまだ熱いコーヒーをゆっくりと飲み進める。
いつもこの喫茶店でほんのりと苦く熱いコーヒーを飲んでいる時は、誰のことも気にせずにひとりで心を休ませることができていた。
悠陽にとっての大切な時間である。
(……日座くんに知られちゃったけど)
「連絡先交換したい」
「もちろんいいよ」
颯太は相変わらずの仏頂面であり、ダイナミクスのせいで人付き合いを避けていたみたいだが、本当は友だちが欲しかったんだろうと思うと、悠陽は自分と少し重なる気がしていた。悠陽は極力どんな人とも浅い繋がりで済ませたいと思っていたが、彼にも同じ対応をしてしまったら失礼な気がしてきた。
ただ、彼は本物のDomであるから絶対に隙を見せないで嘘を貫き通さなくてはならない。今まで上手くやってきた俺なら容易いことだろうと自分に強く言い聞かせた。そうでもしないととっくに不安で心が壊れてしまっていてもおかしくない。
自分のことは自分で守り、機嫌を取り、褒めるしかないのだ。
(誰かに褒められたい……って思うのは俺がSubだから? それとも心が飢えてるのだろうか)
◇◇◇◇◇
「これからなにか予定は?」
「特に無い」
「そっか、じゃあ俺は思ったより早く喫茶店を出たから本来済ませようとしてた用事を片付けに行こうかな」
「分かった。今日はありがとう。駅の方まで同じ道なら一緒に行く」
二人とも伸びをしながら喫茶店を出た。ずっと座っているとこうして伸びをしたくなるのは二人とも同じだったようだ。
外は少し日が傾いて空は薄らオレンジ色になってきていた。
悠陽は颯太に誘われる前に行こうとしていた病院へ向かうことにした。今から向かえばまだ間に合うだろうという判断のもとだ。
病院自体は電車に乗って二駅隣だからバレないだろう、駅までだったら別に一緒でも問題ないだろうと颯太からの誘いを受け入れる。
「うん、じゃあ駅までまた少し話そう」
颯太は軽く頷く。
悠陽はまさか出会ったばかりの年下の彼とここまで話すようになるとは思ってもみなかった。
その俺に対しての積極性があれば他の人とも上手くやれるだろう。本人にその気さえあれば。なんて考えたが到底無理だろうなとも思った。
「……写真サークル、適当に入ったけど皆写真好きなの?」
「さぁ……実は僕も誘われてなんとなくで入ったから。僕はあまり活動してはいないんだよね。けれど本格的なカメラを持っている人は見たことあるよ」
「へぇ。俺はカメラも持ってないから入ったら怒られるんじゃないかと思ってた」
「それを言ったら僕も同じだから大丈夫だよ」
他愛も無い会話をしつつ、駅へと向かう道を歩いている。
(こうやって平和なまま、何の問題なく過ごしていきたい。残りの大学生活も人生も)
一体俺はいつまでこの“戸村悠陽”を演じて生きていけるのだろうか。そう考える度に演じることに疲れきった自分がいるのだと悲しくなってしまう。だからなるべく考えないようにするしかなかった。
「“Kneel!”」
突如怒鳴るような大声が聞こえ、ビリッと全身に電気が流れたかのような感覚に襲われたじろいでしまった。声のした方へ視線を向けると、偉そうに椅子に座っているスーツ姿の男性と、その足元にへたりと座り込んでいる女性がいた。あそこはカフェのテラス席だと言うのに人目が着く場所でそんな堂々とCommandを放つ声がするなんて、信じられない気持ちと信じたくない気持ちが同時に駆け巡る。
その様子を見てヒソヒソと話す人がいたり、少しフラついている人がいる。フラつくあの人はSubなのだろうか?悠陽はそう考えた時に自身の体にも異変が訪れたことに気がつく。
(……体が動かない、冷や汗が止まらない)
「ビックリしたな」
さっきの声に驚いたからだろうか?体がまるで石化したかのように動かない。それに心臓はバクバクとうるさいし呼吸が苦しくなっていく。
あの怒鳴り声をあげていた人たちはパートナー関係を結んでいないのだろうか?相手のSub以外の人にも影響が出てしまっている。
それとも余程大声を放ったからなのだろうか?それかGlareにあてられている?悠陽の頭の中は様々なパターンの不安で埋め尽くされていく。
(どうしよう、動け、動け……!)
「……あの人、相当溜め込んでいるのか? かなりキツくGlareを感じた気がするな」
(こっちを向かないでくれ、日座くん!そのままあっちに気を逸らして、その隙に動かないと)
「戸村さん?」
「っぐ…っはぁ…」
抑制剤は飲んでいるはずなのに、まるで自分の体じゃないかのように言う事を聞かなくなっていた。流石に様子がおかしい事に気がついたのか、颯太の視線が悠陽に向いた。
「“Crawl!”」
また怒鳴り声が聞こえた。今度は確実にGlareが放たれていることを感じた。悠陽の体が震えだし呼吸が過呼吸のようになっていく。焦りからか汗が止まらず、段々涙で視界が揺らいでいく。体が勝手に、手が勝手に地面につこうとしていた。もはや悠陽の意志とは関係なく体が動こうとしていた。
「……“Stop”」
その言葉で、悠陽の体はピタリと止まる。そして抱きしめられて体の力がスっと抜けていく。
「“Good boy”……安心して」
そのまま倒れ込むように体を預ける。
その体重を受け止めるべくしゃがみこみ、体を支えるように強く抱きしめると頭を撫でながら優しく囁いた。
今までに感じたことの無い心地良さが悠陽の心を覆い尽くしていく。頭の中が一瞬にして空になり先程までの緊張感が抜けていった。そして意識がぼんやりとしていく。
「また……嘘ついた。アンタの嘘は、下手くそだよ」
悠陽を抱きしめている颯太の呼吸が少し荒くなっていた。
DomのCommandを受けた悠陽の体が、本能が気持ちよさに浸りきってしまう。
もっと命令をされたい、褒めてもらいたい、彼に、日座くんに支配されたい。
そう思えば思うほど気持ちが高揚していき、欲が止まらなくなっていく。
颯太は一旦、悠陽のことを離すと、両肩をしっかりと掴んで目を合わせた。颯太の表情は今までで一番変わっていた。悠陽を見る目はいつも以上に力強く鋭くて、呼吸が少し苦しそうで興奮しているように見えた。
「戸村さん、アンタSubだろ……?」
「ちが……」
「こんな状況でも嘘をつかないで、“Say”……ちゃんと話して」
悠陽は、そう言われた途端に体中にゾワゾワとむず痒い感覚が走った。
「俺……俺はSubだ、嘘をついた、ごめんなさい」
考えるよりも先に口から言葉が流れ出ていく。それすらも心地よく思えてしまうくらい頭がボーッとしてしまっていた。このままでは何も考えられなくなる、悠陽は僅かに残る理性でなんとか自我を保とうとするがギリギリであった。
「えらい、ちゃんと本当のことを話してくれた……“Good boy”」
頭を撫でられるの、体が熱くなっていくのを感じた。風邪をひいて高熱が出ている時のように体が火照り意識が朦朧とする。
褒められることがこんなにも嬉しいと感じるなんて、気持ちいいと感じるなんて。
悠陽は身体中に感じる初めての感覚やもどかしさを抑えられず、颯太の服の裾を軽く引っ張った。
「っはぁ……はぁ」
何かを言おうとしても、ボーッするせいで上手く言葉にならなかった。颯太は何かを察したように、悠陽の体を持ち上げ立ち上がった。所謂お姫様抱っこをされた悠陽は、そのまま彼に体を委ねきった。そして颯太はその悠陽の様子を伺いながら歩き出した。
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