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愛は病院のカフェスペースへ進む。本来は製薬会社の人間が病院のアメニティを使うことは厳禁なのだが、今日は患者が少ない。椅子に腰かけ、ノートパソコンを開き、情報提供のスライドをチェックした。
時計を見る。もうすぐお昼だ。
伸明は手作り弁当を食べてくれるだろうか、いや、食べる時間はあるのかなと愛はぼんやり考える。
伸明は愛の提案を断った。ほぼ将来安泰である中日本製薬の研究職の椅子を捨て、山波東病院の救急救命医の研修制度に応募した。
「もう愛をこんな悲しい目には遭わせないよ」
その言葉が、100回のキスよりも嬉しかった。
二人とも多忙なため、正式に籍を入れるのは来年にしようと約束しているものの、婚約したも同然の関係となった。
伸明は今でも
「女子高生の胸を心臓マッサージしたくてウチに来たんじゃないの?」
というハラスメントを受けているが、自分が行ってきた医療は一点の曇りもないと堂々と職務に当たっている。その姿は夏の太陽のように眩しい。
愛ももうすぐ30歳。気が付けば小娘の時代はとうに過ぎていた。思い返せば去年は清濁緩急、様々なことが流れすぎた一年だったと思う。
会社には大きな利益を与えた。
若くしてMRのエースとなった。
未来の夫は救急救命医としての人生を歩み始めた。
そして愛は、治験専門病院として生まれ変わろうとする山波大学病院をサポートし、現在認可が下りていない薬剤を患者に、一秒でも早く届けることが目標の人生になったと思う。
裏と表を使い分け、
こびへつらいや卑怯な手段も用いて、
少女の頃に思い描いた綺麗な医療の世界とは全く異なる世界だと実感したけれど、それでもこの道を歩いてゆく。
山波大学病院は黄金を生み出す可能性のある塔なのだから。
完
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