溶けて煮込んで合わさって

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日曜日の午後。 休日もあと僅かとなった昼下がり。 宏市(こういち)はリビングのソファでぼんやりと天井を見つめている。 明日から再び仕事かと思うと憂鬱になる。 だけど…。 「ただいま!」 その声が聴こえると、宏市は軽やかにソファから立ち上がる。 「おかえり、橘弥(きちや)」 「とりあえず、特売品を中心に材料、買って来たぜ」 少し汗ばんだ様子で、両手に買い物袋を引っ提げた彼の姿があった。 思わず宏市は笑ってしまった。 「何、笑ってんだ?」 「べ、別に」 宏市はすぐに顔を逸らす。 (お前の声が聴けただけで、顔を見ただけで嬉しい、なんて、恥ずかしくて言えないんだよ。バーカ) 「で? あとはに任せて良いんだよね?」 「うん。しばらくのんびりしてて」 「よしっ。それじゃあ、俺はゲームの続きやるわー」 買い物袋を台所に置くと、橘弥はそそくさとリビングのソファに腰掛け、大画面のテレビの電源を付ける。 (さてと) 宏市は台所へと向かい、手を洗いながらリビングでゲームに勤しむ彼の姿を見つめる。 ありふれた日常。 いつまでも続いて欲しい瞬間だ。 二人は同棲を始めて三年目。 歳は互いに25歳となった。 大学は違ったが、同じバイト先で知り合い、そこで意気投合。 さらに職場もお互い近い事から、すぐに同じアパートに住みだした。 酸いも甘いも何もかもを共有し、今日に至る。 宏市は台所の作業場(?)に、橘弥が買って来た材料を広げる。 人参、玉葱、ジャガイモ、豚肉と鶏肉。 お高くないテーブルワインの白に、市販のカレールーの箱。 月二回振舞われる宏市特製のカレー。 作り置きが出来るので、本当は毎日カレーでも良いのだが、流石に互いに辛くなるので、月二回までとした。 橘弥は特に彼の作るカレーが好物なので、いつも以上に気合を入れて作る。 食いつきが他の料理と違うのだ。 と言っても、一般的なカレーの作り方なのだが…。 人参、玉葱、ジャガイモを切り、鶏肉と豚肉を一口サイズに切り揃えて行く。 あっと言う間に、透明なボウルに野菜が集まる。 無洗米の米も用意し、炊飯器にセットする。 勿論、水をしっかり吸水させてから、炊飯するのを忘れずに。 宏市はテキパキと料理を進めて行く。 深めの鍋を用意し、IHコンロのボタンを押す。 まずは鶏肉と豚肉を炒める。油の跳ねる音が心地よい。 火が通った所で、野菜達を一気に投入する。 木べらでそれらを転がしながら、じっくりと火を通して行く。 そして、ペットボトルのミネラルウォーターを鍋へ注いでいく。 水道水を使わないのが、宏市流なのだ。 火加減を調整、鍋の蓋をする前にローリエの葉を一枚落とす。 ここでようやく彼は一息ついた。 冷蔵庫から小さめのビールの缶を二つ取り出すと、宏市はスタスタとゲームを楽しむ橘弥の隣に向かう。 「結構進んだみたいだね」 そして、無言のままビール缶を開け、差し出した。 「ありがと。そこ、置いておいて。コイツ倒せばこのステージクリアだからさ」 「相変わらず上手いよな」 宏市は隣で彼のプレイを眺めていた。 時々、横目で橘弥の顔を見たり、コントローラーを操作する彼の大きな手を見たりもした。 華麗なテクニックで、あっと言う間に橘弥は試練を突破して見せた。 「よしっ、クリアー!」 そう言って、目の前にあるビールを一気飲みした。 彼はお酒が大好きなので、わざと小さいサイズを用意したのは、彼の身体を労わる宏市の優しさである。 毎日呑むので、心配になる。 「それで、カレーの方は順調?」 「勿論。あとは二時間ぐらい煮込めば完成さ」 「そっか」 「うん…」 何故か気まずい雰囲気に二人は包まれる。 いつもこの瞬間が苦手だ。 をする時、恥ずかしくて言い出しにくいから。 すると突然、宏市は橘弥に肩を掴まれるとそのままグイと押し倒されてしまった。 肩がぶつかる。 「な、何!」 「せっかくの休みなんだからさ。一緒に居ようよ」 橘弥の大きな手で頭を撫でられただけで、身体から空気が抜けるかのように動けなくなる。 「…うん。そうする」 宏市も身体を彼に預ける。お互いの体温を感じられるだけで、幸せに思えた。 自然の流れで二人は唇を交わす。 触れ合うだけで嬉しくなる。 さっきまで仕事が憂鬱とか考えていた自分が馬鹿らしいとすら思えるくらいに。 互いの名を呼びながら、二人はリビングの床に倒れ込んだ。 煮えたぎる鍋の音と同じように、二人は嬌声を上げ、互いの身体の隅々までを確かめ合うのだった。 【体力回復音(皆様が思い浮かべる癒しのBGMを脳内に流してください)】 宏市は鍋の蓋を開ける。 野菜はすっかり溶け込み、ジャガイモが辛うじて原型を留めて居る程、ホロホロになっていた。 ローリエの葉を避け、丁寧に灰汁を取る。 市販のカレールーを投入し、最後の仕上げに入る。 「良い匂いするね」 台所で作業中の彼の背後から、橘弥が抱き付いてくる。 「コラ、重いよ。ほら、今日は早めの夕飯にしよう。ご飯、準備しておいて」 「はーい」 橘弥もテキパキとお皿を準備し、炊き立てのご飯をよそう。 「さてと。最後にアレを入れないと」 宏市は棚の扉を開けると、そこからお気に入りのコーヒーを取り出すのだった。 深みを与えるため、小さじ一杯のコーヒーの粉を鍋に入れた。 彼は一口味見をする。 スパイスの効いた深みのある味が舌に伝わる。 (今日も上手に出来たかな) 橘弥の笑顔が思い浮かぶ。 あの表情をずっと見て居たい。 宏市はそんな事を考えながら、火を止めた。 リビングのテーブルにカレーの皿が二つ並ぶ。 一緒に茹でていた半熟卵。 予め用意しておいたサラダ。 そして、テーブルワインをグラスに注いだら、準備完了。 「また明日から仕事、頑張るよ」 「おいおい。嫌な事、思い出させるなよな」 折角の雰囲気が台無しだと橘弥が渋い顔を見せると、宏市は笑ってしまった。 『それじゃあ、乾杯』 二人のグラスがぶつかる時、それは楽しい夕飯の合図。 カレーを一口頬張れば、二人の表情は自然と笑みになる。 いつまでもこの時が続きますように。 宏市は目の前に居る大好きなヒトを見つめながら、このひと時を味わうのだった。
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