追認

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 無限の可能性、という言葉を吐く人間はきっと、己の途方もない無責任さをばらまいていることに気づいていない。まあ、まだ家族ならわかる。血を分けた存在を元気づけるためにそういう言葉を口にすることだって、もしかしたらあるのかも。  でもただの友達とか、知り合いとか、はたまた顔も本名もわからないような相手にさえ、あたしはそんな言葉を恐ろしくて口にできない。いつか何十年も経った後に「おまえがあの日ああ言ったのに、何もなかったじゃないか」って、鬼の形相でやってくるかもしれない。自分の吐いた言葉の責任を取れと、力づくで取り立てにやってくるかもしれないから。それに、そもそも可能性とかいくつもの道だとか、カタチのないことを信じられるようなバックグラウンドが、あたしには存在しなかった。  両親はあたしが小学生のときに離婚して、あたしは酒と男狂いだったろくでもない母親ではなく、父親についていった。長距離トラックの運転手をしながら、男手一つであたしを育てる父親はほとんど家におらず、参観日とか親子レクとか、そういう類の行事に顔を出したことはない。恥ずかしいから来るなとか声をかけるなとか文句を言いながら、教室の後ろに立つ自分たちの親のほうになんだかんだ目線を送るクラスメイトたちを尻目に、あたしは黒板の深い緑色と、教師がそれをチョークで叩くたびに舞う色とりどりの粉塵を睨み続けた。  あたしと、あたりまえの幸せが慈しみさえ感じないほどすぐそばにあるその他大勢との間には、大きな隔たりがある。なるほど、確かに彼や彼女たちにはいくつもの道があるのだろう。自分の好きなことだけ突き詰めるのもいい、親の期待に沿う進路を取るのもまた人生なり。その気になれば、味が全くしなくなるまで親のすねをかじり続けられる環境がある。あたしには、どれも手許にない。好きなこともなければ、親があたしに寄せる期待もない。父親についていくことを選んだのも、単にあんなどうしようもない母親についていきたくなかっただけだ。だから父親はそれほどあたしのことを可愛がってはくれなかったけれど、雨風を凌げる場所で過ごさせてくれたことには感謝している。  あたしがただ敷かれたレールをダラダラ進むしかない列車だとすれば、他の連中はみなスパゲッティみたくあちこちの方角へ向いた都市高速。ジャンクションを通るたび、あちこちに進路を変えてゆくし、みんな目にもとまらぬ速さでかっ飛んでゆく。それぞれが進む道の先には、輝かしい無限の可能性とやらが見えているのだろう。でも、そもそも無限ってなんだよ。人間いつかはみんな等しく死を迎える、いろんな意味で限りある存在だというのに。  こんなふうに、結局はただの僻みになってしまう。進む先に大きな壁が見えている未来と、その壁に激しく衝突して砕け散るまでの道のりを選べない自分。思うまま簡単に進路を変えられる他の存在と違って、あたしはずっと一本道で、暗闇の中を「えーっと、電気、電気」と壁に手を這わせるような生き方しかできない。運良く指先がスイッチに触れれば奇跡で、基本的には暗闇に目が慣れるまでじっと耐え続けるしかない人生。  誰に話したって、何も解決できないこの世界が、息苦しかった。  そんなあたしに向かって「三者面談で、ほんとは家業を継ぎたくないのに『そうじゃない』って言えなかった」なんて相談をよくしてきたもんだよ、あんたは。いくら未成年とはいえ、あんたの人生にはちゃんとハンドルがあって、しかもそれはあんた自身が持ってんのに、どうしてほんの僅かだけでも左右に傾けられないんだろう。いつかは終着駅の車止めをぶっ壊して、周りの無関係な連中もみんな巻き添えにしておっ死ぬしかないあたしに比べたら、あんたなんていくらでも選択肢があるはずなのにな。  幼馴染のしょんぼりした横顔を前に、あたしは頭の中の切れないカードを眺めて、ため息をついた。  胸元で風に揺れた、髪の先の色素が薄くなっているのに気づく。  こりゃ明日の頭髪指導で怒られるなあ……と憂鬱になって、もう一度「はぁ」と吐き出した。
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