9人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
1 出会い
初めて理恵子を見た瞬間、宏は恋に落ちた。
高校二年に進級して間もない、学校帰りの電車。
ロングシートの端に座った宏は、反対側の窓越しに見える海に視線を投げた。偶然、その視界に入ってきたのが理恵子だった。
彼女は、ちょうど宏の対面に座ってスマホに目を落としていた。
やや色白の丸顔に、淡い桜色の頬。
小さく結ばれた口。
おろした前髪の下にくりっとした大きな目。
肩から二の腕までを覆う長い黒髪が、春の光にきらめく海をバックに揺れている。
(かわいい……)
一瞬で心を掴まれた。
宏の通う南倉高校の生徒たちの多くは、海岸沿いを走るローカル鉄道、俗に言う海岸電車を利用する。
たった三両編成の汽動車。唸るエンジン音、燃料の燃える匂い、それに広大な海とあずき色一色の車体。
カメラ好きや、ローカル鉄道の愛好家が、それらを目当てに全国からやってくる。
宏の家の最寄りは、南倉駅から北へ15分ほどの田沢という駅である。南倉から田沢までは、小さな無人駅が二つあるだけだ。
宏は、海を眺めるフリをしながら、ちらちらと視線を彼女に向けていた。
(スマホに夢中だから、気づかないだろう)
都合よく考えながら、彼女を観察する。
面白い画像でも目にしたのか、笑いを堪えるような微笑み。
今度は目を丸くして、『あっ』と息を止めるような、驚きの表情。
そして、乾いた唇を、僅かに舌先を覗かせて潤し、その口をぎゅっと結ぶ。
(めっちゃタイプ!)
これを一目惚れと言うのか!
宏の胸は激しくときめいていた。
そうしているうちに、彼女は南倉から二つ目の駅、峰が浦で降りていった。
あっという間の10分間だった。
(明日も会えるだろうか……)
次の日。前日とは打って変わって、海からの強風に、スコールのような雨が叩きつける、荒れた天気となった。
下校時、南倉高校の生徒たちはみな傘を正面に向け、駅への坂道を下っていた。そこへ、正面から突風。
「あーっ」
「キャーッ」
あちこちから声が上がる。
宏の差していたビニール傘も、あおられて裏返しになり、後ろへ持って行かれる。
(チッ)
舌打ちをしながら、後ろ向きの体勢のまま傘を閉じようとした。と、その視界に一人の女の子を捉え、ハッとした。
(昨日のあの子だ!)
彼女は傘に加え、レインコートを着ていた。そのまま宏の横を素通りしていく。
(そりゃそうだろ。俺のことなんて知らないんだから)
心の中で呟きながら、彼女のあとから駅への坂道を下り、電車に乗った。
昨日と同じように、ロングシートの端に座り、お互い向かい合う形になった。
ハンカチで濡れた前髪を拭いている。
ピンク色の口を尖らせているけど、ちっとも不満そうに見えない。むしろ、その姿、仕草のすべてがたまらなくかわいい。
(恋をした……)
宏は電車に揺られながらそう思い、もはや無防備に彼女を眺めていた。
峰が浦に到着した。座席から立ち上がる彼女。同時に、宏の心に焦りの感情が湧き上がってくる。
(このままでは、彼女は降りていってしまう。今日は金曜日。三日も会えないぞ!)
(しかも、俺に気づいてくれていないし。えっ、気づかれても困るだろ?)
いろいろな考えが頭の中を巡り、軽くパニックになる。
(どうする?)
まとまらない気持ちのまま、宏は弾かれるように座席から立ち上がって、ホームに降りてしまった。
ドアが閉まり、走り去る電車を見送りながら、宏は
「これから俺はどうなっていくんだろうか……」
と呟いていた。
最初のコメントを投稿しよう!