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03
ノイエはオハギから手を放すと、ポケットに入れていた数珠を取り出した。
コンコは九つの尻尾を立て、現れた黒い影と向き合う。
黒い影はいつの間にか人の形なっていた。
それは巨大な女性の姿――だが、当然、普通の人間の姿ではない。
全身から禍々しい気を放ち、この世すべての不条理を受けたかのような恨めしい形相をしている。
「地縛霊がこの通りにいたってことは……。じゃあ、オハギはなんで自分の仕業だなんて言ったの!?」
「それはオハギから聞いたほうが早いけど、どうもそんな状況じゃないみたい」
ノイエが立つ“道”が震え始める。
女性の姿をした地縛霊がその身を震わせるたびに一緒になって地震を起こし、大気を震わせる。
赤い空に周囲のものすべてが歪んだ光景。
まるでこの通りだけが地獄へと繋がってしまったかのような、ノイエたちがいた“道”が、そんな気にさせる場所へと変わっていた。
だが、それでもノイエに恐れはない。
数珠を右手に巻き付け、地縛霊へと歩を進める。
「コンコは防御をお願い。本体はわたしがやる」
コンコはノイエの声に応えると、九つの尻尾から鬼火を出した。
すると現れた九つ鬼火が、ノイエを守るように彼女の周囲を回り始める。
「うがぁぁぁッ!」
地縛霊が手を振り落とす。
ノイエに向かってその巨大な手のひらで、彼女を押し潰そうとする。
だが、コンコの放った鬼火がそれを遮った。
鬼火が手を吹き飛ばすと、ノイエは地縛霊の懐へ飛び込んでいく。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前! 迷える魂よ! 汝のその邪気を、今ここで払う!」
ノイエの叫びと呼応し、彼女が右手に巻き付けていた数珠が輝き出す。
やがて数珠は彼女の手を離れ、大きく長くなっていき、地縛霊の体を鎖のように縛り上げた。
それだけでは終わらない。
苦しさで悲鳴をあげる地縛霊に向かって、ノイエは霊符を出し、それを貼りつける。
「ぎゃぁぁぁッ!」
地縛霊はさらに身をよじり叫ぶが、数珠で縛られているため、ただ苦しそうにもがくだけだった。
もう一押し。
ノイエがさらに地縛霊へ仕掛けようとしたそのとき――。
「やめてッ! アズキをいじめないでッ!」
オハギが飛び出してきて、彼女の動きを止めた。
それからオハギは泣きながら頼み続けた。
アズキは悪くない。
悪いのは自分なんだと、凄まじい霊力を纏ったノイエにすがり、その身を焦がしながらも叫び続けた。
「今のノイエに触ったら死んじゃうよ!」
コンコは、そんなオハギをノイエから引き離した。
焦げた猫又の体からは煙が上がっており、痛々しさを感じさせたが、それでもオハギは怯まずにいた。
「アズキがここに居ついちゃったのはアタイのせいなんだ!」
ノイエとコンコは、瞳を潤ませながら声を張り上げるオハギの話を聞くことにした。
彼女たちが聞く姿勢となったことなど気にせずに、猫又は最初と変わらぬ勢いで話し続けた。
その姿は、説明しているというよりは泣いているように見えた。
「アタイが温泉に行きたいなんて言ったから……。それでアズキは……地縛霊に……」
地縛霊とは、自分が亡くなってしまったことに気づいていなかったり、自分が死んだことを受け入れられないために、死んだ時にいた場所から離れられずにいる霊のことだ。
特に強い地縛霊は悪霊を呼び寄せ、その場所をより負の気が集中するところに作り変えてしまうことがある。
どうやらオハギの話によると、この生前はアズキという人間だった地縛霊は、猫又との未練から周囲の邪気を取り込んでしまったようだ。
「でも地縛霊でもなんでも、アズキと居たいんだ……。なあ、頼むよぉ。これまでだってなんとか誰も死なずにやって来れたんだ。アズキを人殺しなんて絶対させないから、アタイらをそっとしておいておくれよぉ……」
「悪いけど、それはできない」
ノイエの返事を聞き、ガクッと肩を落とすオハギ。
コンコは、落ち込んだ猫又にも、厳しい相棒にも何も言えずにいた。
気持ちではオハギの肩を持ってやりたいが、ノイエとコンコは仕事でここへ来ている。
人を襲うような地縛霊を実際に見たからには、このまま放ってはおけない。
「魂には魂の帰る場所がある」
ノイエは地縛霊から霊符をはがした。
それから彼女は静かに呪文を唱え始めると、地縛霊を縛っていた数珠がバラバラの珠となって、霊の回りをゆっくりと回しだす。
霊符をどうして取ったのか?
数珠の拘束も外したのはなぜか?
オハギがノイエの行動に戸惑っていると、地縛霊の姿が変わっていく。
「あぁ……アズキッ!」
その姿が人間の女性になった。
先ほどまでの地縛霊は巨大な女性の姿をしていて、その禍々しさと恨みの形相からは、とても考えられないほど大人しそうな人物へと。
オハギは、悪霊から生前のアズキの姿を取り戻した霊体にすがりついた。
その小さな体で彼女の胸に飛び込み、言葉をかける。
「ごめんよぉ、アズキ……。アタイがもっと強かったらあんたを守れたのにぃ……」
《ううん。そんなことない。あなたは、昔からずっと私を守ってくれた》
アズキの霊体は話し始めた。
両親と上手くいかず、家を飛び出して帰る場所を失った。
その後は仕事を探したが、ろくなスキルもなくましてや住所不明の女を雇ってくれるところなどなく、路上生活を強いられた。
それから出会った人たちの中に、救いの手を差し伸べてくれる人がいたと思ったが、怪しい店で働かされそうになったので逃げた。
アズキは、自分はこのまま死ぬんだと思っていたらある日の夜、猫又と出会った。
《あなたと出会わなかったら……ひとりぼっちのままだったら……たぶん、もっと酷い結果になっていた。だからもういいの。もう十分だよ、オハギ》
「で、でも……あの世に行っちゃったら、もう一緒に居れない……。だから……だからアタイは!」
すがりつくオハギから離れ、アズキの霊体は猫又を見つめる。
二人の会話を聞き、ノイエとコンコはすべてを理解した。
オハギと出会ったアズキは、次第にまともな生活を取り戻していった。
路上生活からすぐには社会復帰が難しいのもあって、オハギに調べてもらって生活保護を受けて、その後に仕事と住む場所を手に入れて自立するまでになれた。
貧しいながらも彼女たちは幸せだった。
他人から見たら好きなものも食えず、動画配信サイトすら見れずと惨めな生活だったが、何気ない会話や笑顔だけで満たされていた。
そんな日々の中、ふとオハギが温泉へ行ってみたいと漏らしたことで、アズキがバイトを増やして無理をしたらしい。
それからなんとかお金が貯まり、ついに彼女たちは温泉旅行へ行こうとしてたとき、不幸が訪れた。
アズキとオハギがこの“道”を歩いていたときに、突然現れた通り魔に刺されてしまったのだ。
もしこのとき、アズキが働きすぎでなければ走って逃げられたかもしれないと、オハギは彼女の死後も悔やんでいた。
自分が温泉に行ってみたいなんて言ったばかりにと。
そして、殺されたアズキにはオハギとの未練が残り、地縛霊となってこの“道”から離れられなくなった。
アズキは少し悲しそうに微笑みながら、その口を開く。
《私もあなたとずっと居たい。けど、しょうがないことだから……》
「ヤダだ! こんなことを思うアタイは妖怪失格なのかもしれないけど……アズキといられて楽しかった! あんたが地縛霊になっても……それでもよかったんだ!」
アズキは泣き喚く猫又を再び抱きしめると、彼女の霊体が輝いては次第に消えていく。
《うん。私も同じ、ずっと同じ気持ちだよ。だから……ありがとう、オハギ。会えてよかった》
「アズキ、アズキィィィッ!」
アズキの霊体は完全に消え、小さな光の球体へと変わった。
オハギがその球体の前で立ち尽くしていると、ノイエはそっと手を伸ばす。
アズキの魂をあの世へ成仏させる気かと、オハギが身構えると彼女は言う。
「この魂の帰る場所はあなたよ」
「え……?」
ノイエは詳しくは答えず、魂を猫又の体へと動かした。
手をかざし、アズキの魂をオハギの体に定着させる。
やがて光は消え、アズキの魂はオハギの中へと入っていった。
それと同時に“道”も姿を変えていく。
赤い空は青空に、歪んでいた光景も普通の通りへと戻っていった。
「あんた……いいのか? こんなマネして……」
「わたしの仕事は迷える魂を導くことだから。彼女の魂は、あの世よりもあなたの中にあるほうがいい。それだけよ」
そう言うと、ノイエは立ち尽くしているオハギの前から去っていった。
コンコは何か言いたそうな顔をしていたが、猫又に手を振って、彼女の後を追って“道”から大通りへと出ていく。
そんな彼女たちに向かって、オハギは言葉をかけず、ただずっとお辞儀をし続けていた。
「ねえ、あれでよかったの? こんな結果だとエンマ姉さんがなんて言うか……」
「いいんだよ、これで。さて仕事も終わったし、ゴハンでも食べに行こうか」
「ま、いっか。なら絶対にいなり寿司だよ。他は認めないからね」
“道”を出たノイエとコンコは、そのままいなり寿司の専門店へと歩を進めた。
店へと向かいながらコンコは思う。
自分はこの子の式神でよかったと。
〈了〉
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