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すがすがしくも何もない部屋。
これまでより、ずっとずっと小さな事務所だ。
住んでいるマンションの「はすかい」に、ちょうど手ごろな部屋が空いていたから、サクッとそこに決めた。
「もうウチも『ヤクザの事務所』じゃネェんだからよ、のべつ幕なしに詰めてる必要ないからな」と。
田中には、そう言い置いてやった。
とはいえ、登記から銀行口座から税務署絡みから、ネットの設定に至るまで。
なんもかんも丸抱えてもらい、田中には当分、頭が上がらねぇかもしらん――
日暮れの光の中。
カラリとした新しい室内を見やりながら、入江が柄にもなく、そんな感慨にツラツラと襲われていた時。
スマホの着信音が響き渡った。
「……ンだよ、天馬か」
着信画面を見もせぬうちに、舌打ち交じりに入江が呟いたのは、番号に紐づけて音を変えていたからに他ならない。
液晶を見やって、出ようかどうしようか数秒迷ってから、入江は応答ボタンをスライドする。
「なんか用かい、刑事さんよ」
そっけなく言い捨てる入江の口には、それでも、やはり笑み。
「めでたく、一応はヤクザ稼業を『閉店』したようだな?」
シレッとした無表情が目に浮かぶような天馬の声。
「へぇ……? なんで分かった」
入江の口に、さらにタラシな微笑が浮かぶ。
「ウチとこは弱小ヤクザだ。公安の目が光ってるどこぞの大暴力団じゃなし、別に『解散届』とか提出した覚えもネェんだがよ?」
ツラツラと、白々しくも厭味に入江が続ければ、天馬のごく小さな笑い声が、電話越しの空気を震わせた。
「天馬さぁ……」
ワザと馴れ馴れしい声音で入江が呼びかける。
「なんだってそんな、オレのコト詳しいの。スッゲェ調べてるワケ? え? ストーカー? ってか何? オレに惚れてる? ひょっとして」
少しの沈黙。
だがそこに、痛みはなかった。
そして、天馬が口を開く。
「一、調べたのは事実だ。二、別に惚れていたからじゃない」
「またまた、ツマらん冗談を」と、入江の笑顔が大きくなる。そこへ、
「だが……」と。
静かに割り入るようにして、天馬が言った。
「……『惚れそう』かもな、今は」
「ちょ、オイオイ、勘弁してくれや」
自らで煽っておきながら、入江がギョッとする。「オレは『そっちの気』はないっての!」
するとまた、電話越しの空気が、カサリと入江の鼓膜を震わせた。
「え? 笑ってんのかよ、コケにしてやがンのか、オマエ」
「オートロックを解除しろ」「あ?」
「建物の『オートロック』だ。ここのセキュリティは、自宅よりは多少、マシなようだな?」
……って、オイ?!
「『開業祝い』に来た。ドアを開けろ」
入江がインターフォンに歩み寄る。
玄関ホールのモニターをつければ、そこにはスーツ姿の男が映っていた。
イヤになるほど姿勢のいい、スラリとした立ち姿。
右手の杖。
隻脚の――男が。
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