人たらしヤクザ、店じまいをする――ヤクザ meets インテリ刑事

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人たらしヤクザ、店じまいをする――ヤクザ meets インテリ刑事

(1) 「……オイ、いい加減にしろや」  スマートフォンを手にした入江(いりえ)(まこと)が、椅子をグルリと回し、窓を向いた。  クッキリとした目鼻立ち。  大きな瞳、よく動く両眉。  生え際の後退の兆しが見えるやいなや、潔く短く刈り込んだ頭髪。  常に周囲に見せるのは、年相応の渋みを帯びながらも、ごく懐っこい笑顔。  その残像のように、口もとにはちいさく乾いた皺が刻まれている。  どうにも憎めない四十がらみの好人物。  誰もが入江に対し、そんな印象を抱かずにはおれないだろう。    その生業が「ヤクザ」だ、というコトを除けば――  そんな入江の口調が、突如、電話口で低く強ばったのだ。  事務所にいるすべての人間の心臓が、ドキリと大きく脈打つ。  入江が続けた。 「だぁから、いつまで向こうにガタガタ言わせてやがンだ、ボケ!! 取るモン取って、とっとと引き上げろ、このタコ!」  東京の北の果て赤羽。  東口、ビーンズの裏手には、築数十年から築浅までマンションに雑居ビルが事欠かない。  そんな一画に、入江の「事務所」はあった。  怒鳴るといっても、入江の声はそこまでの音量ではなかったし、言葉遣いも、まあヤクザにしてはまだ「穏当」と言って言えなくもなかった。  だが常々、人タラシな笑顔と口調を身にまとわせている入江が「キレる」というのは珍しい。  皆がビクつくのも、無理からぬコトではあった。 「ったく、グダグダ時間かければかけただけ、人目を引くだろうが、このバカ!! 今日日はなぁ、騒がれたら『終い』なンだよ。SNSとかなんだとかあるだろう? 田中ぁ、オマエもいい加減、それぐらい分かれや!?」  スーツ姿で書類を手にした三十男が、入江のデスクの傍に突っ立ったまま、ゴクリと唾を飲み下す。  まるで、今、叱責罵倒されているのが自分自身であるかのように、白く表情を固くして。 「で、いくら取って来るつもりだ。あぁ? 十本だと? なにボケたコトぬかしてやがる?! ふざけんなや? うちトコがアソコに、どんだけ金を仕込んだと思ってんだ!」  そこでふと、入江が椅子を回して振り返る。  そして空気の凍った事務所全体に向かって、柔和な、だが、そこはかとなく色気もある微笑をクシャリと浮かべて見せた。  入江が声を和らげる。 「まあな、『百本』とは言わねぇがよ? そうさな……せめて『七十』ぐらいは取ってこいや。オマエももう、ガキじゃネェんだからよ、田中」  入江の口調が、完全にいつもの色に戻った。   囁くようでいて――だがいつどんな時も、ハッキリと言葉を聞き取れる。  そんな、大人の男の低い声に。 「な? やればできるオトコだろ、オマエは? いいな、五分でカタつけろ」  入江が電話を切った。  ストップボタンが切り替わるように、事務所の空気が動き出す。  「ヤレヤレ」と溜息交じりに、入江がグルグル首を回した。そして、   「おう、トシ」と、耳障りは良いが、よく通るウィスパーヴォイスで呼びかける。 「悪いな、怒鳴ったら喉乾いちまった。茶頼むわ」    「トシ」と呼ばれたジーンズ姿の若い男が、慌てて椅子から立ち上がった。  事務室に響くのは、カタカタカチカチという、キーボードとマウスのクリック音だけになる。  すると、そこに何か別の音が混じり始めた。  硬質でややリズミカルな、コツンコツンという軽い音だった。  どうやらそれは、外の廊下で響いているようで、次第に近づいてくる。  両開きの玄関ドアが開く音。  事務所の入口ホールがわりの細いスペースへと、誰かが入ってくる気配。  足音、そしてまたコツコツ音が続き、やがて、男が姿を現した。  日本人離れした長身。  見るからに仕立ての良さそうなスーツに包まれているのはごく細身な身体だった。  青みがかっているほどの艶めく黒髪。こめかみに交じる白髪が妙に印象的だ。     だがしかし、他のなによりも目を引くのは、男の右足の膝下が「無い」こと。  コツコツと硬い音は、男の持つステッキが床に当たる音だった。 「本日、『アポイント』はおありですか」  言葉だけは慇懃に。  だが「追っ払ってやる」という意図がありありと滲む口調で、事務所の若い男がシレッと告げる。  スーツ姿だが、それは「形ばかり」。  明らかに「カタギではない」ムードを隠さない用途の「要員(スタッフ)」だった。 「無いな」  隻脚の珍客は、端的に応じる。 「でしたらお引き取りを」と。  凄みながら間合いを詰めてくる「強面のニイチャン」に、男はまるきり動じる様子もなかった。    男は静かに、ジャケットの内ポケットへ指を滑らせる。  チョコレート色の二つ折りケースを取り出すと、それを開いて提示した。  警察手帳だった。    ふたたび、事務室の空気が凍りつく。  すると、部屋の一番奥で窓を背に座る入江が立ち上がった。 「これはどうも! 警察のかたでしたか」  クルリと大きな丸っこい目を瞠って、入江が微笑む。  そして、ゆっくりと男へと歩み寄りながら、 「さぁて、本日はどんなご用向きで? えっと……」と、警察手帳を覗き込んだ。 「天馬…祐一、警部補殿?」 「ああ」  長身の男が、律儀に返答する。   「刑事さん、赤羽(このあたり)じゃ、あまりお見掛けしないですかね……」  スーツ姿だ。  だったら、もちろん「刑事(デカ)」だろうさ?  入江はそうアタリを付ける。 「ご所属はどちらの署で?」  微笑んで入江が続けた。  「稼業」がら警察手帳に「所属」が「記載されていない」ことは、よく知っている。  まっすぐに相手の瞳を覗き込んで、とてつもなく屈託ない様子ながらも、単なる「無邪気さ」とは一線を画す。そんな入江の微笑。  それでも、いってしまえば所詮、「四十がらみのオッサンの笑顔」でしかないのだが、どうしてどうして、そこには、どうにも惹きつけられて堪らない魅力があった。  しかし天馬は、そんな入江に対しても人形めいた無表情をひと筋も乱すことなく、  「豊島中央署だ」と、端的に応じるのみだった。  その淡々とした口調から、何かを読み取るのは難しい。 「で? ご用件は」 「用件……ああ、そうだな。別にいましがたの電話の件ではないから心配するな。おおかた東川口のタワーマンション用地の地上げ絡みだろう? 管轄は埼玉県警だ」    一体、なぜ分かったのか。  シラリと図星を言い当てられ、入江の頬が微かに痙攣した。  だが、ポーカーフェイスならば、入江とて年季が入っている。 「なるほど、ですが……おっと? 『管轄』っていえば。赤羽はいつから『豊島中央署』の管轄になったんですっけ?」  とかなんとか、タラシな笑顔で言い返す。    とうとう天馬も、つられるようにして口もとを緩めた。  それは、「そう言おうといえば言える」程度の、「ごくわずか」の動きに過ぎなかったが。  そして、 「ここは『調査事務所』なんだろう?」と、ガラス窓に白い文字で貼り付けられている「表向き」の社名を親指で差した。 「少し相談に乗ってもらいたいことがある」  へぇ?「相談」ね……と。  独り言に近いほどの声量で呟いてから、入江は、 「ま、立ち話もなんですし。どうぞこちらへ、刑事さん」と、奥の個室へと天馬を誘った。  ドアを開いて、入江が天馬を振り返る。  天馬が、ステッキと共に一歩を踏み出した。  片足での歩行だ。それほどの素早さはない。  だが、天馬の姿勢は怖ろしく良かった。  「隻脚のファッションモデル」というものが存在するのかは知らないが、もしいるのなら。  こんな感じでランウェイを歩くのかもな――  入江は思わず、そんな感想を抱く。  個室には、小さな応接セットが置かれていた。  一応、ここはヤクザの「フロント企業」のオフィスなワケで。  この部屋も、「応接室」という名称の、「体のいい監禁部屋」というのが、まあ正しい説明になる。  そんな部屋へと、むしろ優雅ともいえるステッキの音をさせながら、悠々と入っていく天馬の背を、入江は、瞬きながらしばし見つめた。  頼まれていた茶を淹れ、盆を持って立ちすくんでいたトシへと、入江が手を伸ばす。  自分の湯呑を摘まみ取ると、 「おい、ポヤッと突っ立ってねぇで、刑事さんの茶も用意しな、トシ」  と、ふたたび指示を飛ばした。 「不要だ」    天馬が振り返りもせず背中越しに言い放つ。  そして、部屋の奥へと歩みを進めた。
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