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 目覚めた時、未知の世界にいた。木製の天井に柔らかなシーツ。充満する甘い香水の香り。二十三年の人生において、これほど贅沢な空間に遭遇したのは初めてだった。思わず周囲を見渡してしまう。端的に言って簡素な部屋だ。 「よぉ」  記憶に新しい声が響く。急激に上昇した心拍が、天国との候補を除外する。無音で視界に入った顔は、黒いマスクと帽子にほとんど隠されていた。 「君、急だが殺しの仕事を手伝う気は?」  ほぼ第一声での問いかけに、混乱が活性化する。どこから踏み込めばいいか、分からず絶句した。 「覚えていないのか。私は殺し屋。君の抱える事情は君から直接聞いたよ。××との関係も含めてね」  動揺の下敷きになっていた記憶が蘇る。吐き気が沸き、口を押さえた。  あの男とは四年ほど同棲し、互いに恋人を称していた。求められるまま体と給料半分を渡し、愛を受け取っていた。偽愛だと感づいていたが、甘い囁き(麻薬)を求め勝手に体が動いた。  しかし、終わりは突然だった。渡す額を減らしたい――愛が本物だと勘違いし、相談したら人が変わった。暴力が常となり、家から逃げ出せば追われ、ところ構わず首を絞められ連れ戻された。度合いが強くなるにつれ、殺すしか逃げ道はないと悟った。結果、今に至る。 「報酬は百パー渡すし、帰れないならここに住めばいい」  悪い話じゃない。瞬間的に脳が判断した。家も金もない人間には、心身の痛みなど二の次である。それに、まともな職など選べる立場じゃない。 「やります」  他に選択肢はなかった。それだけだ。 「そうか、」  些細な肯定に心が小さく踊る。ちょうど手伝いが欲しくてな――言いながら、男は二つの装備を外した。現れたのはDNAに染み込む顔だった。  優しくされてみたい。愛されてみたい――悪癖が発動し、勝手に頬が赤を帯びる。だが、学習を踏まえ、心を殺すよう顔を背けた。なのに。  不意に、手のひらが肩に触れる。それはゆっくり動きだし、優しく左右へ行き来した。 「……なんなら、プラスで“愛情”も報酬にしようか? なんてな」  嘘でも良い。貫いてくれるなら。報酬なら、うまくやる限り失われないってことだよね?  男の手のひらに、そっと手を重ねる。お願いします――そう声を震わせながら。
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